亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

2022年夏の訪港と隔離(3+4)

隔離期間があった頃に香港を訪れていたのだが、その際simカード購入までのツイートを全部下書きに溜めていたまま放置していた。

そうこうしているうちにいつの間にか隔離期間が消滅し、大陸の掌返しに乗じて《安心出行》も、チンパスも、PCR検査も無くなってしまった。今はもう日本で出発前に抗原検査して写メでも撮っておけば普通に入境できるようだ(数日分の抗原検査キットは自弁)。完全に機を逸しているが、こちらに纏めて供養しておきたい。

  • 0日目
  • 1日目〜3日目(隔離酒店:3晩)
  • 3日目〜7日目

0日目

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この口岸みると成田来たな〜という気分になる。今回最低限必要な書類として、

①事前に受けたPCR検査の証明書(横浜駅の鈴一の斜向かいあたりで受けたが、即日でメールでpdfが送られてきた)、
②ワクチン接種証明書(アプリから即印刷できて便利だった)、
③健康状況と便名、ホテルの情報を事前申告して得られるQRコード、および
④隔離ホテルの予約票

が特に重要で、こういう事前準備が大変苦手なので非常にストレスだった。なんか不安になって、成田着いてからも何度も確認してしまった。

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検査したらしたで、機内では普通にアルコール飲み放題なの意味がわからない。最高

飛行機代ケチって仁川経由にしたのだが、仁川空港ではコンビニで酒類を販売していなかった。最悪

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大公報編《我們必勝!港英必敗!》(香港:大公報、1967年11月)「前言」試訳

 大した意味もなく和訳してしまった。本来は5月6日にこっそりアップする予定だったが完全に忘れていた。というわけで深夜にこっそりアップ。
 本書は香港の代表的な「左報」(左派新聞)である『大公報』が六七暴動の末期に発行した写真集。六七暴動は大陸における文革の進行と澳門での一二・三事件の成功とに触発された香港の地下共産党を中心に起こされた暴動で、60年代に頻発していた労働争議の一つをきっかけとして、運動は大規模スト、街頭でのデモ、そして爆弾闘争、沙頭角での武力衝突へとエスカレートしていった。とはいえ、この写真集には勿論運動後期の「紅色恐怖」についての記述は存在していない。
 当時左派人士の眼中にあった「港英」政府の「法西斯的真面目」、本当に現在の「宗主国」のそれと鏡写しのようで、不思議な気分になる。

我々の生きる時代は、帝国主義体制が全面的に崩壊に向かう時代である。 帝国主義者はすでに抜け出しようのない危機に陥っており、彼らがいくら中国人民に対抗し続けようとも、中国人民が最終的な勝利を収める道は必ずある。
                                        毛 沢 東
           (1949年6月15日、新政治协商会议筹备会席上のスピーチ)
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野点をする(相模川・小倉橋下河川敷)

はじめに

屋外で中国茶を飲みたくなる、そういう時がある。

 近所にオープンエアーの茶楼が存在しないので、中々外気に当たりながらお茶を飲む機会が少ない。となると自分で「野点」をするしかなくなる。次第に暖かくなってきたので、茶をしばきに出かけることにした。野点というと茶道のイメージで、キャンプで飲むものだとコーヒーのイメージが強いのだが、果たして中国茶でも野点は可能なのだろうか*1

小倉橋下河川敷デイキャンプ

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新旧の橋が見える河原

いい天気だったので、車に乗って河原に行った。持つべきものは運転免許証があり、この環境で酒を入れないで耐えられる精神力を持った友人。

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風が強いが、火遊びから始める(河原なのでシートいらない気もしたが、この方が安定する)。これだけで既に酒が飲める雰囲気である

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キムチの乳酸菌で、鉄板の皮膜が滅茶苦茶剥げた

友達が持ってきたキムチ焼いて豚肉と食ったり、

*1:中国茶 野点」などで検索すると実は結構試されている方もおられて、参考になる。またキャンプ道具方面だと、mont-bellやsnow peakあたりが日本茶・抹茶向けの野点セットを製作していたりもする

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唔駛去日本咁遠(後編):従化温泉に残る民国期別荘建築

  • ①飛機樓(劉沛泉別墅)
  • ②陳濟棠别墅
  • ③その他民国期の別荘建築
  • おまけ:帰路

前編では廣東溫泉賓館で「紅い」温泉地としての従化を堪能したので、自分の宿に帰ることにする。

mounungyeuk.hatenadiary.jp

自分の宿泊した北渓度假村は、当時攜程CTripで100元しなかった。広東温泉賓館の対岸、流溪河左岸に位置しているこぢんまりとした宿だ。

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自分の宿泊した北渓度假村

 自分の部屋は今回もまたツインだが、やたらに湿度が高くて、長くいると労咳になりそうな感じだった。これには理由があって、

從化溫泉

北渓度假村、部屋の浴槽。激アツ

それは個室に付属する浴槽なのだが、これが使っていない間も湿気を発しているらしく、また換気も全然行き届いていないのだ。

 翌朝、早速朝風呂と洒落込んだが、バルブをひねると壁面から熱湯(温泉)が大量に噴き出してくる。これがかなり熱くて、しばらくは湯船に浸かれなかった。従化の源泉温度は最低36℃〜最高71℃ということらしいので、納得の温度だ。高温のアルカリで全身の角質がモリモリ溶けていく……

 全身が溶かされたので、改めて街中の散策に向かう。

 1日目のテーマが「紅色」だとしたら、本日のテーマは「民国」。先に述べたように、この従化温泉は民国期より温泉地として観光開発が進められており、県政府により温泉までの道路が整備され省城から車で通えるようになると、少なからぬ貴顕が当地に別墅(別荘)を構えた。抗戦期までに築き上げられた温泉地としての格式が、人民共和国以降の「冬都」としての位置付けへと受け継がれているのだ

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唔駛去日本咁遠(前編):従化温泉・広東温泉賓館

  • はじめに
  • 従化への道
  • 広東温泉賓館の概要
  • 広東温泉賓館の外湯
  • 広東温泉賓館の食事

はじめに

 2017年、財政司司長に就任した陳茂波は行政長官の梁振英(当時)が率いる大灣區考察團(大湾区視察団)に参加した。2017年は第十二屆全国人大の《政府工作報告》に「大湾区」の文言が入ったので、この概念が俄に注目され始めた時期だろう。

 帰港後、テレビに出演した陳は大湾区諸都市との協力を主張する中で、交通が発達しつつある広東省西部が旅行先として優れていると指摘し、冗談混じりにこう語った:

香港人可以揀個長周末上去玩吓,好似係恩平咁,又有唔少溫泉,大家唔駛去到日本咁遠!
(訳:香港人は週末に遊びに行ったらいいと思うよ。恩平とか、温泉もたくさんあるし、日本みたいな遠くまで出かける必要ないよ!)

www.hk01.com

 

 この発言は香港市内から恩平までの所要時間が日本へ飛ぶのと然程変わらない(5時間)所から物笑いの種になったのだが(打造“1小时生活圈”、無理やと思うけど頑張ってほしい)、このニュースのおかげで自分は広東省の温泉について興味を持つに至った。広東省に温泉湧いてるなら、唔駛去日本咁遠じゃん、というわけである。

 陳が言うように、広東省には恩平のほかにも、珠海、中山、湛江、韶関、恵州、梅州等々、各地に温泉が湧いており、各地に度假村(リゾート施設)が建設されている。とはいえ、中国のこの手の温泉は水着着用のプールのようなものが多いので、あまり食指が伸びない……

 そんな中で気になったのが、広州市従化区にある従化温泉(從化溫泉、从化温泉)だ。従化は現在は広州市の一部に編入されており、腐っても広州市内であれば多少は行きやすいだろうということと、従化温泉は他の温泉地と比べて歴史があり、観光も楽しめそうだと思ったからだ。

 従化温泉の沿革は大体以下の通り:

 従化温泉は地方志にも記載がある温泉だが、現在のような温泉地として開発が進んだのは民国期のこと。日中戦争まで、1930年代の中国では沿海部都市を中心に消費文化が発展し、この中で鉄道やバスを利用した国内旅行が発達した。名勝や避暑地、温泉地では観光開発が進み、各地でホテルが建設されたほか、政軍財の大物が自分達の地盤に別荘を築いていく。
 従化温泉は西南航空公司常務理事であった劉沛泉が飛行機からこの温泉地を見つけたことで開発が始まり、当時の従化県政府により従化温泉建設促進会が結成され、道路や旅館、温浴施設の整備が進められることになった。
 日中戦争に伴う停滞ののち、人民共和国成立後は国家幹部療養院が設置され、従化は「冬都」として、中央の指導部が北京の冬の厳しい寒さを避けてここを訪れることになる。「冬都」従化温泉の役割は1970年代末まで続き、北京は勿論、他国の指導者の接待にも使われることになった——

こういう温泉なら、オタクが一人で行っても楽しめるような気がしませんか?しますよね。というわけで、実際に訪問した2018年12月の記録を残しておきたい。今年(2021-2022年)の冬は頗る寒くて、温泉に浸かっていないタイミングでは常に心のどこかで温泉行きたい……と思い続けていた。この感覚で数年前の温泉訪問記を思い出したのである。まあ、もはや中国自体が物理的にかなり遠い場所になってしまったが……

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年の暮れ、横浜の乗り物(AIR CABIN、シーバス、三和楼、徳記)

  • ①YOKOHAMA AIR CABIN
  • ②北仲ブリック
  • ③三和楼
  • ④徳記

①YOKOHAMA AIR CABIN

 2021年末、横浜市中心に出ることがあったので、色々と博物館など行こうかと思ったが年末だったので全部閉まっていた。折角なのでYokohama Air Cabinなるものに乗ることにした。

 

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それなりに混んでいた。待ち時間は5分程

 桜木町駅前から新港埠頭片道630mを結び、所要時間は5分、運賃は1000円。正直めちゃ高い、こんなん誰が乗んねんというのが正直な気持ちだが、1組で8人乗りのゴンドラを使えるので家族や友達と乗るといいかもしれない。

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こういうのどっかで乗ったな、と思ったが永利皇宮のSkycab(觀光纜車)だった。あれは無料だったが*1

 微妙な高さから汽車道を歩いていく人々を見下ろす、後ろ向きな楽しみ方をする。ドアの付き方的に、みなとみらいのビル群を眺めるのは新港埠頭側から桜木町へ帰る方向の方がより綺麗に見えると思う。360度満遍なく見渡せるので意外と良かった。またすぐ乗るかと言われたらそれはないけれども。

 

個人的には、汽車道(臨港線)に単線のライトレールでも通して山下公園あたりまで運んでくれるとすごく嬉しい。

*1:ハマもカジノ作ったらこういうの全部無料になったかな。ならんか……

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2021年よく聴いた音楽のこと

2021年終わるらしいですよ。めちゃくちゃ怖いですね。2021年を過ごした実感が湧かないので、いまだに年号を2020年と書き間違えてしまう。

今年はあまり外出の機会もなく、基本的に自室にてYoutubeさんでランダムに音楽を垂れ流しながら作業していたので、結果的に色んな音楽を聴くことになった。シャッフルとはいえ、Youtubeさんは多分自分の試聴傾向を読みながら曲を放り込んでくるのでジャンル的に多岐にわたることはないと思うのだけど、新しい曲を聴くこと自体が久しぶりだった。

自分は上述の通り音楽にあまり頓着しない人間なので、特にめちゃくちゃ好きなジャンルとかはなく、雑食なのだけど、以下は今年よく聴いた曲で、印象に残っているものをピックアップしてメモを残しておくことにする。去年も似たような感じだったから、去年もやっておけばよかったとちょっと後悔している(去年何を聴いていたか、中々思い出せないものだから)。尤も、つまみ食いだし専門家ではないので、流行歌から何かを語ることはできないのだが……

  • ①Serrini《我在流浮山滴眼水.jpg》
  • ②MC $oHo & KidNey《係咁先啦》
  • ③闽南狼PYC《中国老总》
  • ④my little airport 《那陣時不知道》
  • ⑤K佬《山頂黑毒蛇》
  • ⑥JB《得個等》
  • ⑦Delta T蛋撻頭《寂寞的雪糕 (Lonely Disco)》
  • ⑧Ginger Root(姜根)《Loretta》
  • ⑨溫蒂漫步Wendy Wander《讓我住進你心裡》
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