亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

連環画と香港の貸本屋(碧璋「香港的『街頭図書館』」)

Untitled2019年の書展。今では信じられないが、普通に連儂牆とかもあったな 

路上と本についての記事を見つけた。今回も例によって入江啓四郎『支那新聞の読み方:中国報紙研究法』(タイムス出版社、1935年)方式で。

【文例】

碧璋「香港的『街頭圖書館』」(『華僑日報』1960年5月21日)

連環圖對兒童有利還是有害呢?有些描寫神怪打鬥的連環圖是有害的,但有些益智的連環圖都是兒童的好讀物,事實上,由於本港的失學兒童數字還是相當龍大,對於這批不幸的未來小主人,連環圖也可算是他們吸收智識的唯一途徑的。反之,這些圖書,倘若含有毒素,那對一般兒童的前途,影响確是不堪設想的。

不論世界任何一處地區的兒童,他們總不免會喜歡打打鬥鬥的故事。儘管這些故事千篇一律,荒誕不經,只要這些故事又刺激,夠生猛,同時,書中的男主角,盡是擁有通天遁地本領的英雄,而女主角盡是逗引起愛的美麗少女,孩子們對於這些圖書,一定感到無限醉心的,這在本港一般不幸的失學兒童,那又怎會例外呢。

由於本港的教育目前還沒有達到普及的階段,而一般貧苦大眾的文化水準還是相當低,加以文盲的數額還是相當龍大,因此,連環圖這一種刊物,是確有它存在的價值。

可是,由於不少印製連環圖的出版商,他們忽略了教育問題,他們為了利之所在,不惜大量推出離奇怪誕的圖書,如上山學法,飛劍殺人等故事。結果,一般智識薄弱的兒童,可能受這種邪說影响而為非作歹。

時至今日連環圖攤檔,已不若年前那麼蓬勃,但不少人烟稠密的地區,不少這種攤檔,始終還如常地在經營著的。究竟這種連環圖的源起是怎樣的呢?我們就不能不談到上海那一塊地方了。

那大約已經是廿多年前的事了,當時,爲了迎合一般略識之無的兒童所需,當地的出版商特別印製一些離奇神怪的圖書,推出市面,而也就是被稱爲「小書」的刊物了。由於看連環圖的人逾來逾多,而閱讀者除了一般兒童外,不少小家庭的主婦們,也開始對這種刊物引起興趣,因此,爲迎合大眾化的閱者心理起見,編製連環圖畫的商人,不惜盡可能改變原有的方針,逐漸把連環圖
所採用的題材,包括一些風行的劇本在內,例如,狸貓換太子,火燒紅蓮寺,荒江女俠等。而連環圖的業務,也因此而蓬勃一時了。

二次大戰結後,一名久居上海的某粵籍商人,偶然利用他手裏一筆存款買了一批連環圖來港,抵埗後,他爲求解決日常的生活,他利用這些連環圖開設小書檔於路旁,並以每套二毫的租金,藉謀升斗。不久,由於這些刊物頗爲一般兒童歡迎,因此,不少出版商也就大量編製應市,而本港的連環圖業務才告廣泛展開的。

時至今日,隨着時日的演變,不少正式的七彩兒童讀物,已經相繼面市了。一般神怪題材的連環圖的市場不難會給這些益智讀物奪去的。

【譯】

碧璋「香港の『街頭図書館』」

連環画は子供にとって有益か有害か? 神仙や妖怪が戦うのを描いた有害なものもあるが、教育的で子供にとって良い読み物であるものもある。実際、香港では不就学児童の数がまだかなり多いため、連環画はこうした不幸な未来の主人公たちが知識を吸収する唯一の方法といえる。 一方で、もしこれらの本に有害物が含まれているとしたら、一般的な子供たちの将来に与える影響は想像を絶する。

世界のどの地域でも、子供たちは常に戦いの物語に惹かれる。 画一的で不条理ではあっても、物語が十分に刺激的でエキサイティングで、主人公が世を忍ぶヒーローで、ヒロインが愛すべき美少女である限り、子どもたちはこれらの本に魅了されるのであり、それは香港の不幸な不就学児童たちも例外ではない。

香港の教育はまだ普遍化の段階に達しておらず、貧困層の識字水準はまだ非常に低く、文盲の数も非常に多いため、連環画のような出版物の存在価値は確かにある。

しかし、多くの連環画出版社は教育の問題を軽視しており、利益のために、上山學法や、飛劍殺人といった話など、わざわざ荒唐無稽な本を大量に出版している。その結果、一般的に知識薄弱である子供たちが、そうした邪悪な物語に影響されて犯罪を犯すこともある。

現在、連環画の露店は数年前ほど繁盛していないが、人口密度の高い地域では、いまだに多くの露店が通常通り営業している。このような連環画の起源は畢竟どこにあるのだろうか? そうなると、上海という場所の話をせずにはいられない。

もう20年以上も前のことだが、知識の乏しい子供たちのニーズに応えるため、上海現地の出版社が奇妙奇天烈な本を刷って売り出した。連環画を見る人が増えるにしたがって、その読者は一般的な子供たちだけでなく、小家庭の主婦たちもこの種の出版物に興味を持ち始めた。そこで、庶民の読者心理に対応するため、連環画制作に携わる商人たちは、当初の方向性をできる限り変更し、連環画で扱われる題材の中に、例えば『狸貓換太子』、『火燒紅蓮寺』、『荒江女俠』といった京劇や映画の人気脚本の内容を盛り込んでいった。その結果、連環画ビジネスは一時急激に繁栄した。

第二次世界大戦が終わった後、上海に長く住んでいた広東人のある商人が、偶然、手元に貯めたお金で連環画をまとめて購入した。 香港に到着した彼は、日々の暮らしのために、この連環画を使って道端に小さな本屋を開き、1セット20セントの値段で貸し出して生計を立てた。 やがて、これらの出版物が子供たちの間でかなり人気があったため、多くの出版社が市場向けに大量に生産し、香港における連環画ビジネスはこうして広まった。

現在では、時代の変化とともに、多くの正式でカラフルな児童書が出版されるようになった。 神仙や妖怪を題材に取る連環画の市場が、こうした教育的な読み物に奪われることは難しいことではないだろう。

【解說】

香港における連環画について。連環画(連環図、連環図画)とは中国の漫画というか、絵本というか、そういうビジュアルメディアだ。講談本が挿絵主体に進化した形式とでも言えば良いだろうか。香港では「公仔書」とも呼ばれる。明代以降の通俗小説の発展とともに始まり、近代になると近代的な児童観の定着や印刷技術の進歩に伴って一層大衆化し、題材として京劇や政治プロパガンダなども取り込まれるなど、多様化が進んだ*1

連環画を荒唐無稽で低俗、大衆的、女子供の読み物とする如何にも読書人らしい評論だが、香港における連環画の流行についてのエピソードが面白い。本邦でも戦後貸本屋が隆盛し、貸本屋向けに漫画や娯楽小説が書かれ、ここから成功した作家も数多くいる。貸本漫画は、当事者だった手塚治虫によると「『おもちゃ』や『駄菓子』に類する商品」として低く見られていたというのも、この時期の連環画の位置付けと非常に近いものを感じる*2

香港の新聞では60年代には児童向け紙面が展開されていたほか、風刺画を中心に漫画家の活躍の場が徐々に生まれていた。こうした人々については既にいくつかの研究がなされているものの*3、伝統的な連環画と、西洋的なカートゥーン・漫画とが、香港や上海という場でどう接合しているのかが気になった。

記事にある20セントという貸し賃は果たして庶民的な値段だったのだろうか*4、とも思ったが、1セットということで、まとめて何冊も借りるシステムのようだ。別の記事によれば、「〔1950年代〕当時は20冊の公仔書のレンタル料は約10セント、60年代になると10セントでは15冊しか借りられなくなった*5」とあった。テレビも一般家庭に普及しておらず、義務教育の実施も無い時代の最高の娯楽だったのだろうと思う。

そしてなんと、彩虹邨に貸本屋がまだあるらしい。レンタル料は1冊6ドル。インターネット・電子書籍の影響は破壊的だったとは思うけど、以前は(テレビ隆盛の時代にもかかわらず、)香港の家屋の物理的制約からも根強い需要があったのだろうなと思う:

www.youtube.com

余談だが、街頭と書物というと、以前石湖墟にポップアップの(というか多分路上占有という意味では非法)の古本売りが現れたことを思い出す。段ボール箱がいくつもあり、内容は大半が中国古典文学についてのもの。中にはいくつか学生手帳や大学の過去問といったものが混じっていて、元の所有者の一貫性を窺わせるものだった。あの土地でこれだけの蔵書を蓄えられた方がいらしゃったということに畏敬の念を覚えた:

 

*1:高橋愛「中国の連環画の変遷とその描写技法」

*2:日本の古本屋 / 『貸本マンガと戦後の風景』

*3:たとえば、戦前から漫画家として活動し、戦後「楚子」として『華僑日報』を中心に長く活躍した鄭家鎮(1918 - 2000)など。康樂及文化事務署「遷想妙得(香港藝術家系列III:鄭家鎮)」2000年

*4:参考までに、この日の1斤あたりの瘦肉の値段は5ドル20セント、腩肉は2ドル50セント、鯇魚が4ドル、牛腩が1ドル60セントであった(「食用物価」『華僑日報』1960年5月21日)

*5:【多圖】回望60年前香港窮孩子的快樂 路邊攤1毫子借20本公仔書 - 晴報 - 時事 - 要聞 - D190225