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唔駛去日本咁遠(前編):従化温泉・広東温泉賓館

はじめに

 2017年、財政司司長に就任した陳茂波は行政長官の梁振英(当時)が率いる大灣區考察團(大湾区視察団)に参加した。2017年は第十二屆全国人大の《政府工作報告》に「大湾区」の文言が入ったので、この概念が俄に注目され始めた時期だろう。

 帰港後、テレビに出演した陳は大湾区諸都市との協力を主張する中で、交通が発達しつつある広東省西部が旅行先として優れていると指摘し、冗談混じりにこう語った:

香港人可以揀個長周末上去玩吓,好似係恩平咁,又有唔少溫泉,大家唔駛去到日本咁遠!
(訳:香港人は週末に遊びに行ったらいいと思うよ。恩平とか、温泉もたくさんあるし、日本みたいな遠くまで出かける必要ないよ!)

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 この発言は香港市内から恩平までの所要時間が日本へ飛ぶのと然程変わらない(5時間)所から物笑いの種になったのだが(打造“1小时生活圈”、無理やと思うけど頑張ってほしい)、このニュースのおかげで自分は広東省の温泉について興味を持つに至った。広東省に温泉湧いてるなら、唔駛去日本咁遠じゃん、というわけである。

 陳が言うように、広東省には恩平のほかにも、珠海、中山、湛江、韶関、恵州、梅州等々、各地に温泉が湧いており、各地に度假村(リゾート施設)が建設されている。とはいえ、中国のこの手の温泉は水着着用のプールのようなものが多いので、あまり食指が伸びない……

 そんな中で気になったのが、広州市従化区にある従化温泉(從化溫泉、从化温泉)だ。従化は現在は広州市の一部に編入されており、腐っても広州市内であれば多少は行きやすいだろうということと、従化温泉は他の温泉地と比べて歴史があり、観光も楽しめそうだと思ったからだ。

 従化温泉の沿革は大体以下の通り:

 従化温泉は地方志にも記載がある温泉だが、現在のような温泉地として開発が進んだのは民国期のこと。日中戦争まで、1930年代の中国では沿海部都市を中心に消費文化が発展し、この中で鉄道やバスを利用した国内旅行が発達した。名勝や避暑地、温泉地では観光開発が進み、各地でホテルが建設されたほか、政軍財の大物が自分達の地盤に別荘を築いていく。
 従化温泉は西南航空公司常務理事であった劉沛泉が飛行機からこの温泉地を見つけたことで開発が始まり、当時の従化県政府により従化温泉建設促進会が結成され、道路や旅館、温浴施設の整備が進められることになった。
 日中戦争に伴う停滞ののち、人民共和国成立後は国家幹部療養院が設置され、従化は「冬都」として、中央の指導部が北京の冬の厳しい寒さを避けてここを訪れることになる。「冬都」従化温泉の役割は1970年代末まで続き、北京は勿論、他国の指導者の接待にも使われることになった——

こういう温泉なら、オタクが一人で行っても楽しめるような気がしませんか?しますよね。というわけで、実際に訪問した2018年12月の記録を残しておきたい。今年(2021-2022年)の冬は頗る寒くて、温泉に浸かっていないタイミングでは常に心のどこかで温泉行きたい……と思い続けていた。この感覚で数年前の温泉訪問記を思い出したのである。まあ、もはや中国自体が物理的にかなり遠い場所になってしまったが……

従化への道

 2018年12月、珠海での用事が終わった自分は、香港へ戻る前にちょっと従化に行ってみることにした。従化を目指し、取り敢えず珠海から高鉄で広州へ向かう。

廣州
愛群大酒店Oi Kwan Hotel。河畔に薄ぼんやり光るアールデコ建築

 広州に着いてからは、友人に会って牛杂やら双皮奶やら食べて、愛群大酒店に宿泊した。フロントのおばちゃんが珠江見える部屋にしておいたで、と言ってくれた。古いホテルなので部屋がデカく、ツインを1人で使ったので普段狭小住宅(劏房)に住んでいる身としては些か持て余した。調度は古いが雰囲気があり、バスタブもある。最高だ

 翌日、飯食ってまずは从化客运站(従化バスターミナル)へ向かう。バスもあるけど時間もかかるしもうタクシーでいいか、となりタクシーで30分ほど。ここから温泉地へはさらに路線バスに乗る必要があるが、生憎出払っていたので、ターミナル前に屯する大量の白タクのおっさんたちの中からバイタクのおっさんを選んだ。

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流溪河の堤防をひたすら遡る

 バイクは車線をガン無視しながら爆速で街中を抜けると、自動車の進入できない流溪河の護岸の上をのんびり遡っていく。途中の村々には大きな祠堂なども見え、中々面白い。運転が雑なので気が気ではないが……尚、案の定支払いで揉めたのでお薦めはしない。バスとぶつかりそうになったり、値段交渉したりで絶叫し続けていたので喉が枯れた。

從化溫泉

到着。流溪河の両側に旅館が立ち並ぶ

 尚、この訪問直後に広州地下鉄の14号線が開通し、从化客运站までは市内から電車で行けるようになった。従化温泉に向かうのも一層便利になっていることだろう。

広東温泉賓館の概要

 まずはこの辺りで一番格式の高いであろう「廣東溫泉賓館」へ向かう。なんといっても「従化」ではなく「広東」を背負っているのである。すごい

從化溫泉

対岸より広東温泉賓館を望む

 正門前には「嶺南第一溫泉」の石碑と、日本の温泉地にもありがちな温泉の湧いたモニュメントが置かれている。いかにも正面玄関といった感じだ。揮毫は1977年当時広東省委員会書記であった呉南生(1922-2018)の手によるもの。呉のことは知らなかったが、汕頭の貧民窟から身を立て、70年代以降はずっと広東で経歴を重ねた人物らしい。

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「嶺南第一溫泉」碑

 この広東温泉賓館が「冬都」従化の総本山であり、国内外の要人が宿泊したのもここである。広大な敷地内にはホテルの他に、松園1号などの別荘タイプの戸建が点在しており、この建物に誰々が滞在した、などの解説パネルも設置されている。

廣東溫泉賓館

翠溪一号别墅前にある周恩来

 また、資料館(翠溪賓舍文献芸術館)も併設されており、上述した民国期以来の温泉開発の沿革や歴代要人(広東省長であった習近平の父・習仲勲も含む)、郭沫若などの文化人や原子爆弾開発に貢献した科学者「三銭」などと当地の関わりについても詳述されている。

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館内の展示。「習仲勲在広東」のパネルがやたらデカくて面白い

 展示を見てから敷地内を回ると、このホテルが担った役割の一端に触れられる気がして楽しい。緑も多く、川岸には綺麗な桟橋や四阿などもあったりして、散策すると爽快な気分になれる。

廣東溫泉賓館

毛沢東ら要人が数多く宿泊した松園の入り口。防空壕もある別荘の入り口は固く閉ざされている

広東温泉賓館の外湯

廣東溫泉賓館

外湯の「蘭苑露天温泉」入り口。浴場前に更衣室がある

 折角だから自分も国家領導と同じ湯に浸かろうと思い、こちらの日帰り入浴を利用することにした。正門から結構奥に進んだところに日帰り入浴を受け付けている施設があり、受付・支払いを済ませた後に浴場へ向かう。こちらは水着がいるので別途購入しておいた。炭酸水素ナトリウム泉とのことで、無色透明で、湯温はややぬるめ。とはいえ源泉温度は結構高温なはずなので、温水プール感覚でゆっくり浸かってくれや、ということなのだと思う。

廣東溫泉賓館

完全な長湯。2時間おったらしい

 水飲んだり(服務員が冷水を配っている)、他のお客さん(殆どが地元の方だった)と談笑したり、ドクターフィッシュに角質を食われたりしながらかなり長湯をしてしまった。これはユネッサンみたいな感じですね。

 湯温は低かったが、浸かってみて体が芯から暖まった感じがあり、皮膚もトゥルトゥルになった。正直泉質にはあまり期待していなかったのだが、しっかり効いている感じがある。クセのある温泉でもないし、これは要人も通うと思う。

広東温泉賓館の食事

廣東溫泉賓館

正門ロータリー前、総合受付の横にレストランがある

 すっかり日が暮れたので、ここで夕食をとることにした。自分はこんないいところに泊まれないので木賃宿みたいな旅館を予約しているのだけれど、自分の宿も広東温泉賓館も、温泉の商店街からは少し遠いので、湯上がりに歩くのが面倒臭くなったということもある。

廣東溫泉賓館

陶然餐廳で晩餐

 レセプション脇のレストラン「陶然餐庁」に入る。意外にしっかりしたレストランだったので少し気後れしたが、メニューを見るとご当地感のある料理もたくさんあるし、値段もお手頃だして結構良かった。食ったことねえの頼もう!ということで、よく分からないままにいろいろ頼んでみた。

 黄汁農家宝(写真手前)はコーンや豆、野菜が煮込まれたとろみのあるスープ(18元/人)、胃が広がるのを感じる。果葉捺泥鴨(写真中央)は醬鴨のような感じで、アヒルの下に敷かれた里芋が汁を吸っていて美味い(48元/皿)。最後に出てきた紫蘇山坑魚(写真右)は従化の郷土料理らしい。特産の山坑魚という細身のワカサギのような魚を紫蘇で炒めたもので、山坑魚は骨も食べられる柔らかさで美味かった(48元/皿)。

 食事に加えてビールや茶も頼んだが、茶に関しては写真奥に見えるように茶具が色々出てきて、食後も煎を重ねてしばらく楽しめた。一人100元しなかったのだが、(一応)広州市内で国家級ホテルの飯なのにこの値段、凄くないか……?などと思う。

 お湯に飯に満足したので、自分の宿に戻ることにした。翌日は民国期の別荘建築探訪に向かったのだが、それは後編で。