亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

北浅川流れ橋を渡る

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JR高尾駅駅舎。元は「新宿御苑仮停車場(1927年)」を武蔵陵墓地に近い同駅に移築したもの

 高尾駅である。でも、今日はここから登山ではなく、川に向かう。というか、そもそも高尾山に登るなら京王線を使うので、この立派なJRの駅舎をまじまじと観るのも初めてだった。

 今回はタイトルの通り八王子は北浅川に架かる流れ橋を見に行く。バリバリの八王子観光だ。

 「流れ橋」というのは永久橋と異なり、増水時に橋桁が流されるもの*1。橋桁が流されることで橋脚へのダメージを軽減し、再建を容易たらしめることを狙っている。多くの場所では行政が架橋したものでないことが多く、地域住民の交通を便ならしめるために地域コミュニティの手によって維持・管理されている「勝手橋」でもある。

 北浅川流れ橋も地域住民が維持しており、何と公式HPまで存在しているが、ここでも生活利便性の為に橋の存在を必要とする住民と、その設置許可を与えない河川管理者との間に摩擦が存在している。「違法状態」ではあるが、これを代替するインフラを行政が提供できないために黙認されている。

 高尾駅からバスに乗って北上する。大正昭和の陵を越え、小田野トンネルを過ぎると、北浅川の流域に入ってくる。

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陵北大橋バス停から陵北大橋を望む

 小田野の集落を抜けると、バスは陵北大橋を渡って陵北大橋バス停に停まった。ここで降車する。

 この橋が北浅川左岸の西寺方町大幡地区(旧恩方村)から最も近い永久橋だ。ここから流れ橋の橋詰までは徒歩で7分ほど掛かる。Google mapを見ると、数年前に登録していたポイントから少し下流に移動しているようだ。これは北浅川の流れが変わり、以前の架橋地点の川幅が広がってしまったためらしい。

 地図をみると、西寺方町大幡地区から対岸の現・陣馬街道にアクセスする最短経路に流れ橋があることがわかる*2流れ橋を必要とする集落の姿を眺めながら、橋の方へ歩みを進める。

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 西寺方町は普通の住宅地の間に釣り堀が点在する場所だった。この流域は八王子市役所付近の浅川に至るまで湧水が沢山存在しているのだけど、この辺りも湧き水が沢山あったりするのだろうか。

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北浅川左岸の馬頭観音と、流れ橋への入り口

 釣り堀・森屋荘の前に馬頭観音があった。この道を辿って河川敷に向かうと流れ橋がある。この現・陣馬街道へのアクセスルートが近世以来の歴史を有していることが分かる。というか、これが旧陣馬街道だそうだ。当時から村人による普請で維持されていたのだろう*3

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河川管理者のお言葉

 河川敷に上がると、河川管理者様からの警告が設置されていた。「とりあえずポーズとして警告はしたから……」感が長閑で良い雰囲気だ。一帯の河川敷は花壇や菜園としても利用されているようだった*4

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北浅川(八王子)流れ橋全景

 河川敷のちょっとした丘を越えると、橋の全貌が姿を現した。架橋地点を移してからは、橋を2本渡して川を越えるようになったようだ。現在の橋はだいぶ低く、少し雨が降ったら通れなくなってしまいそう。HPの写真を見ると、かつては自動車も渡れるくらい大規模だった時期もあるらしい。

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 ギシギシと撓む橋を渡る。部材は工事現場でよく見る足場を流用しているっぽい。銀杏が溜まっており、少し水も濁っているような気もするが、メチャクチャ綺麗だ。こちらの支流は流れが緩やかなので、メダカの学校が見られた(カダヤシの学校じゃないといいな……)

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中洲から右岸側の端を眺める

 中洲に渡り右岸側を見ると、二本目の橋が見えた。橋詰の取り付き部には石が組まれ、河流に突き出している。意外に凝っていて、老若男女日々利用するこの橋をいいものにしようという心意気が感じられる。

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北浅川の澄んだ流れ

 橋の上から川を見ると、澄んだ流れに水草がそよいでいて美しく、本当に気持ちがいい。散歩道というか、親水空間として優秀過ぎる。左岸の菜園を見た時にも感じたが、歴史の道、利便性の道である以上に、憩いの道としても大切にされているのだろうなと思う。

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右岸橋詰

 こちらの橋詰には、かつての橋脚と思しき木柱が2本残っていた。木製電柱のような太さで、往時は今より高い所を渡していたのだろう。2本の旧橋脚は下流側にかしいでおり、おそらくは「流れ」た時に傾いたのだろうが、増水時の水流の激しさが窺われる。

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 対岸を望むと西寺方町大幡地区の集落が見える。こちら側には家屋はあるが集落というほど密集しておらず、この橋は大幡地区の人々の利用が主なのだろう。

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北浅川右岸の馬頭観音

 河川敷を離れ、陣馬街道現道への連絡道に至った。舗装されており、自動車も進入できるようになっているが、ここは公道なのかな。こちら側にも馬頭観音があった。ちょっとした竹林があり、不法投棄なども目立った。右岸の風景から、この道への熱意はあまり感じられない。とはいえ、こうした不法投棄の抑止のためにも流れ橋が存在して、ある程度恒常的な人の通行があった方が良いと思う。

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切通し」バス停。右奥の青い家屋の傍に流れ橋へのアプローチがある

 陣馬街道の現道に入った。目の前には「切通し」というストレートなネーミングのバス停があるのだけど、このバス停から2つの切り通しが見られる。一つは明治期につくられたもの(写真左)、もう一つは大正期につくられた現道のもの(写真右奥カーブ後)だ。2つの切通しに挟まれるように残された丘の上に日枝社が鎮座している。

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明治に作られた陣馬街道の切り通し

 

 このバス停から再びバスに乗り、陣馬街道を南東方面に疾走。一路八王子駅へ戻る。街が近づくと街道沿いに沢山の呉服店が立ち並び、ユーミン・ヒロミ・サーヤを輩出した多摩の首都、桑都八王子の偉容がその姿を表す。街道と鉄道の間には巨大な歓楽街が広がっており、ぽっと出の立川とかとは比較にならない雰囲気がある……

 八王子に降り立つのは初めてだったけど、多分第一印象としては、JRの駅を出て……というのより、こうして街道からアプローチできてよかった。これが正解。

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バスが右折して駅前大通りに入った瞬間に脳汁が出た。カッコ良過ぎる

 駅前大通りからJRの駅舎を眺めると、東京がダラ〜〜と延びてきてここまで来てますよ、といった感じの街並みとは一線を画す、「都市」の面目といったものを感じさせる。

 ニュータウン生まれニュータウン育ちなので、この八王子や元朗みたいなほんものの都市にビビってしまう気持ちがある。駅前から西放射線一帯を歩いてみたが、これは明らかに夜来た方が楽しい地区だと思う。中町の花街跡にはまだ料亭が営業を続けていて、三味線を練習する音が聞こえてきた。内陸養蚕地帯の農家や、産地と横浜を行き来する商人達もここでどんちゃん騒ぎしていたのだろうか。桑都、今度は夜に来たい……

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中町・黒塀通り

 


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店名だけで入った八王子ラーメン。麺がうまい(びんびん亭)

 最後、帰る前に八王子ラーメンも食べた。というかどの店もラーメンの値段が安くて驚いた*5。少なくないお店が、10年以上前に見た価格帯で頑張っている……。スッキリとした醤油味と優しい甘さでさっぱり食えるが、表面には大量のラードが浮いている。こいつが刻み玉ねぎとセットで甘旨かった。

*1:当該の流れ橋は、直近では6月に流されているらしい。

*2:というか、Google mapは徒歩道として流れ橋を認識しているらしい。実用本位だ

*3:一応、戦前まで旧恩方村の資産ということになっていたが、八王子市編入時に引き継ぎを失敗したらしい。八王子流れ橋について - 八王子流れ橋(北浅川流れ橋)

*4:「違法」性についてだが、この手の法例というものは杓子定規に運用されているものではなくて、違法状態から発生した事態への行政の免責や、過度に悪質なケースへの対処に利用されるために存在している。良く言えば柔軟で温情的な、悪く言えば恣意的で行政の「怠慢」を免責するような運用がなされるのが常である。河川を占有している近隣住民だけが一方的に受益者であるというわけでもなく、双方に楽ができているから均衡が保たれている、というのが個人的な感想だ。ここについてはそれで良いとも思う

*5:まだ開店準備中だったが、100円ラーメンを謳うテナントもできるらしい。ラーメンだけ価格が崩壊している