亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

もやしの都、怡保(イポー)

 お久しぶりです。香港ではあれよあれよと言う間に動乱の11月が過ぎ、春節を迎える前に疫禍が興り、漸く収束しそうな状況。先日の民主派議員や活動家の一斉逮捕によって、忘れかけていた去年の長かった夏や、来る立法会選挙について思い出した感じです。

 それにしても、今回の疫禍は戦争以上に全人類的な共通体験になってしまった。封城はじめ多くの防疫措置は、基本的に我々の生活条件である衣食住行の“行”に制限を掛けるものだったけど、こうした変化が続くのは個人的にかなり辛い……尤も色んなものが遠隔になる中、人と直に会う事や物に直に触れる事、実際の場所に訪れること事の大切さというか、その欲求も再認識されていくような気がしている。

 閑話休題。今日は唐突に怡保のもやしが食べたくなってしまったので、この記事では怡保の写真を整理しながら食べたもやしを纏めておこうと思う。

  • はじめに
  • ①老黃芽菜雞沙河粉Restoran Lou Wong Tauge Ayam KueTiau
  • ②天津茶室Restoran Thean Chun
  • ③德記炒粉店Kedai Makan Tuck Kee
  • ④高溫街芽菜雞沙河粉Restoran Cowan Street Ayam Tauge & KoiTiau
  • おわりに

はじめに

 怡保Ipohは近打Kinta河*1沿いに発展した華人*2の街で、かつては錫の採掘で栄えた「錫都」だ。二次大戦時の日本軍政以来、太平Taipingにかわって霹靂Perak州の州都となっている。左右両岸に広がる旧市街地は戦前〜鉱業が下火になった戦後間もなくの状態で化石化しており、見応えが凄い[写真]

怡保

大都会なので邵氏兄弟(ショウ・ブラザーズ)もごく初期に怡保へ進出している*3

 「死んだ街」ゆえに台湾で言えば台南みたいな感じの観光名所になっており、台南同様美食の街としても有名だ。粵式點心や沙河粉など、怡保の美食は数多いが、中でも「芽菜Tauge(もやし)」は有名かつ怡保独特のものの一つだろう(あと白咖啡がマスト)。怡保といえばもやし。マレーシア人の常識である(多分)。
 正直もやしが主役を張れるとは全く思っていなかったのだけど、自分はこの街でもやしを食べて「もやし観」が完全に変わってしまい、滞在期間中胃に隙間があればもやしを詰めるようになっていた。すごいぞもやし。インドで人生観が変わるかは分からないが(行ったことないので)イポーでもやし観は変わる

怡保

元ホテル建物の入り口。かつては錫でワールドワイドだった怡保だが、今はもやしでワールドワイドな街。

*1:近打河はPerak河の支流で、合流地点下流には安順Teluk Intan市がある。いつか行きたい

*2:かつての鉱業時代は客家や福建、潮州の幫もあったらしいが、現在ここは吉隆坡の華人地区同様に広東語が主流の街のようだ。街中で話されているのはほぼ広東語、grabのインド系運転手も「自分も怡保人だから広東語が出来る」と仰っていた。最低限トリリンガルのマレーシア人、本当に凄い

*3:鍾寶賢「重訪邵氏故事:星洲視點」傳媒透視,2008年8月15日。

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フイルムの似合う街、峇株巴轄(バトパハ)

峇株巴轄

久々の更新になりますが。先日、一週間かけて
星加坡(~新山)~峇株巴轄〜麻六甲~檳城
マレー半島西岸を縦走した。

 理由としては一度出境しないとと考えていたことと(あと、アリバイ的にシンガポールに用事を作った)、ちょっと香港から離れてみようと思ったからだった。数ヶ月前に書いた記事で「元朗でのんびり」とか抜かしているが、記事を書いた直後に元朗は一気に「政治化した市區から隔絶されたスローな街」ではなくなってしまった。今や港島から新界、便所の落書きから飯屋の口コミ、Tinderのプロフィールに至るまで凡ゆるものが政治化し、分断が可視化されている。

 というわけで、リフレッシュを兼ねていたものの最初に到着した星洲で息の詰まりそうなほどの街並みの過剰な整備具合に結構萎え(あとプラナカン博物館が休館中だった)、新山のチェックポイントのダメさ加減によって完全に心身を消耗した果てにたどり着いた峇株巴轄はまさに、死後の世界だった。

 人間は死後、この世で善を為したものは峇株巴轄の茶餐室に、悪を為したものは新山のチェックポイントに行くことになると思う*1。ところで死というと、最近眼鏡、時計、小銭入れと相次いでお亡くなりになっており、生活の上でかなり厳しいことになっている。

 今回の旅でも、峇株巴轄2日目にRICOH GRⅡが突如故障し、レンズカバーが開かなくなってしまった(液晶や内蔵プログラム自体は生きている)。というわけで、旅の後半は4年選手のiPhone6Sと、たまたま入れておいたOLYMPUS PEN EES-2を使っていくしかなくなってしまった。
 OLYMPUS PEN EES-2はゾーンフォーカス、セレン光電池による自動露出がついた、非常に簡便なハーフカメラだ。ハーフカメラなので通常の2倍撮れる(36枚のフィルムなら72枚)のだが、使うつもりがなかったので入れっぱなしだった残り撮影数10枚のフイルム*2だけで頑張るしかないということに。

*1:今の峇株巴轄の様子については、akiramujina (@akiramujina)さんやらぶあーす (@lovearth)さん、あと自分のツイートとか見ていただければ…

*2:36枚フイルムを突っ込むと、72枚撮らなければ現像できないのでこういったことになりやすい。今回現像したら2年前の朝鮮大学校の文化祭の写真が出てきた。使わなすぎ

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元朗でぼんやりすること

元朗という街が香港の北西部にある。港島・九龍からは山で阻まれた地にあり、2003年に西鐵が開通するまでは港島・九龍への交通をバス路線に依存していた街。元朗から屯門にかけてはニュータウン開発に併せ輕鐵(ライトレール)が敷設され、香港のいずれの場所とも異なる独立した交通網と独特の都市景観が生じている。

元朗屏山

非常に遠く(香港人の感覚では、だが)、辺鄙な所という印象もある一方で、深圳湾を挟み広東省に面している立地で、かつ香港には珍しく肥沃な平野が広がっていたことから、明朝以来の入植ではその最初期に開発が始まった場所であり、定期市の設置とともに商業地としても発展を遂げた、香港随一の「古都」でもある。市場を支配していたのは新界五大氏族のひとつ鄧一族で、屏山の鄧氏は團練(私兵団)を組織してイギリスの新界接収に抵抗した。結局、イギリス統治下でも彼ら有力氏族の権勢は温存され、今でも一帯には彼らの所有する絢爛豪華な祠堂や家塾といった文物が残されている*1

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中心市街を歩くと近年問題になっている水貨客目当てのドラッグストアや貴金属店の侵攻もそこまで目立たず、地域密着型の飲食店が多くあり、遊歩道に机や椅子が出されてみんなで路上を楽しむのんびりとした空気が流れている*2。この独特の景観からは「民国でも人民共和国でもない、もう一つの大陸都市のあったかもしれない姿」という感じがする。個人的に香港でも好きな街の一つだ。「香港らしさ」のステレオタイプからは大きく外れた街かと思う。

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西鐵の駅の北側には旧墟(定期市の跡)とそれを取り囲むように原居民の村落が点在している湿地帯が広がる。元朗の村々を通り抜けつつ10分ほど歩くと簡素極まる碼頭があり、香港唯一の手漕ぎの渡し船が元朗の市街地と湿地帯の島の中にある南生圍なる村とを結んでいる。たった1分の船旅だが、のどかで非常にリラックスできる。

乗客も船頭のオッサンもタバコを吸っている。恐らく香港で唯一の喫煙可能な公共交通機関でもあろう。片道1分に7ドルかかるが、この渡船がなければ南生圍までかかる唯一の自動車用の橋を使うことになり、ひどく遠回りになってしまう。元朗市街地から最短距離で村までを結ぶルート上のこの渡船は、間違いなく生活上必須のものだ。

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行った先には耕作放棄地と廃村、そして沼に浮かぶ鄙びた士多(ストア)。士多の多くは週末だけ開いていて、飲み物や軽食を提供している。

水上テラス席で10ドルの豆腐花を食べながらぼんやりする。時間が止まったかのような沼地の向こうには残された廃村と、ニュータウンのコピペのような住宅群。反対を向けば、茫々たる沼地の遠くに燦然と光り輝く深圳の高層ビル群が望める。余りにもアンバランスな風景は、けっして自然な成り行きでそうなったものではなくて、割譲地と租借地、移民と原居民、一国二制度と改革開放という様々な制度のレイヤーが重なりあって形作られた「歪み」であって、この歪みこそが香港という都市を魅力的でユニークなものにしている。元朗という、平たくて広々とした「香港らしくない」街の外れにあって、寧ろこの風景こそが香港らしさだよなあ、と思った。

六四30周年にはじまり、七一に至るまで(まだ続いているが)の政治の季節を経験している香港。だからこそ、こういう所でのんびりすることも必要だと思う。新界は最高。

*1:https://www.amo.gov.hk/b5/trails_pingshan.php

*2:なんと元朗には街の中心に半屋外の熟食市場が3箇所も存在している。参照:食物環境衛生署,元朗區街市/熟食市場

雨傘、魚蛋に続く、まだ名前の付いていない運動のこと

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逃犯條例の修訂をめぐって、9日のデモから12日の警察との衝突によって、香港は5年ぶりに世界の耳目を集めている。

自分は現状香港に長く居るわけでもないし、香港の現代政治について殊更関心がある訳でもない、一介の局外者に過ぎない。12日当日も自分は広州でものを食べたり城中村を見に行ったりしていて、(リアルタイムの報道は見ていたものの)衝突の現場にいた訳ではない*1

香港についても、自分はあくまで部外者として、過度に思い入れないように努めてきたつもりだ。でも、香港の人達の自治・自由・民主を求めるたたかいは尊いものだと思うし、支持し連帯すべきだと思ってはいる。700万人規模の巨大な“母校”を見ている気になる(このように思う時点で既に思い入れてるのだろう)。だから気を付けないと冷静に物を見られなくなりそうで、怖い。

この数日、重度の低頭族である自分は報道やTwitterをずっと眺めていたのだけど、「香港には興味がない」と言いながらも敢えて大陸支持を明言して運動を嘲笑する人、反中というだけで加油加油と叫ぶネトウヨにはウンザリさせられた。一方で運動を支持する香港の人達も、話を盛ったり出所不明の情報に飛び付いていたりして*2、これも……人は見たいものしか見えないということだろうと思うし、自分は多分深層心理の何処かでそういう人を見てウンザリしたいのだろうと思う。

当事者たる香港の人達がカッとなって話を盛ったり謠言に飛び付いたりするのは仕方がないと思うけど(なんでも起こり得る状況なので)、我々は応援こそすれ冷静に情報を集め、動静を見守ることが必要ではないか。そしてそれが一番香港への支援になるのでは…と思う。

「悲壮なたたかい」なる感動ポルノや安易な反中ポルノに仕立ててシコったり「葬式鉄」をやるのをやめろ。そういう人ほど香港が「終わった」ら他のオカズに飛んでいって、香港の事などすっかり忘れてしまうだろう。でも、この条例がどうなろうと香港もあり香港人もいて、かれらの生活やたたかいは続くのだ。

*1:9日夜の時点で、政府總部前の道路を塞ごうとして警官に制止され、言い合いになってる場面に遭遇していた。この時点で胡椒スプレーは既に使用されていたので、12日にはより過激な衝突が起こり得ることは予想された

*2:自分はデマから透けて見える香港の人達の大陸蔑視や、北京が主張する「外国勢力の介入」の鏡写しみたいな発想が物凄く苦手です

汕頭の旧市街に行ったこと(陶芳酒楼, 万安街)

汕頭に行った。嶺東とも呼ばれる広東省東部の潮汕地区は閩南語系の潮州話の世界で、広東語は殆ど聞かれない。バスの音声案内も普通話と潮州話だった。

汕頭は1860年に潮州に代わり開港場となった地で、ここからタイを中心に南洋へ多くの華僑を送出した僑郷でもある。自分の祖父母世代だと汕頭といえば刺繍入りの白いハンカチだと思うが、輸出産業であったためか市内で販売されているのを全く見なかった。あるいは、すでに廃れてしまったのかもしれない。地元の大学生に汕頭の伝統工芸品についてのアンケートを頼まれたが、その中にも「番花」(抽紗)の項目は存在しなかった。

旧市街には小公園と呼ばれる円形広場を中心に特徴的な騎樓の街並みが残るが… 

汕頭

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メインストリートの大部分は観光地としての整備の真っただ中にあり、死んだ状態だった。整備が済んだ箇所(小公園周辺)も観光客向けの商店がチラホラ開いているだけで、活気がまるでない…

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大規模に街を破壊し、元あった店子を追い出して行われる整備事業にはあんまり感心しない。勿論、まともな修繕を施されてこなかった旧建築の多くに倒壊の危険が有り、住人もよりよい生活環境を望んでいるのだろうということは理解できるが…*1上の画像左側に残されているのは汕頭僑批業(華僑からの送金・郵便の取次業)同業公会の跡地だ*2

*1:数年前に始まったらしいこの整備だが、自分としては急速で乱暴な印象を受けるものの、遅々として進まないことに不満を抱いている住民が少なくないことに驚かされた

*2:鄭緒栄、張如強編『汕頭:老城記憶』汕頭大学出版社、2018年、26頁。

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台湾の冰果室のこと

先日から在華坊さんのエントリが非常に盛り上がっていて、自分も感じ入る所が多く、興味のある話題なのでウォッチしております…

zaikabou.hatenablog.com

zaikabou.hatenablog.com

思えば「何故中国に人が行かないのか」という問題は長年クラスタを苦しめる難問と化している(中国旅行好きな人しか居ないので苦手な人の気持ちが分からないから)感じですが、自分の考えでは言葉が分からない状態で行くと交通工具が不便でストレスフルなの(毎度毎度の安全检查、售票处の行列、タクシーも滴滴の隆盛で余所者は一層不便に)がデカいと思う。先日台湾行って大陸経由で香港戻って来たのだけど、毎度のことながら大陸は全てにおいて移動がままならないので台湾と同じつもりで回ろうとすると時間配分が崩壊し、大変しんどかった。というか台湾がヌル過ぎ、最高なんだなあ*1

でも、ストレスフルな移動にしろインターネットの問題にしろ、在華坊さんが仰られているように一回は現地に行ってみないと感じられない不便さだよなぁ、とも思う*2。多分外国人観光客も「成田って東京からメチャクチャ遠いやんけ」とか来てから思ってますよね、きっと……結局はイメージ、これに尽きると思います(だからここで「突然拘束されるかもしれないリスク」とか「大気汚染が深刻だから」などを挙げる人の方が余程「説得力」がある)。行かない人がそこまで考えて敬遠してる訳ないのでは、と…

マイナスなイメージが既にある状況下では中々旅行系の情報も紹介され辛いし、そうすると「中国では~~を見て、~~を食べて、~~を買って、~~に泊まって」みたいな「中国旅行」の定番みたいなパッケージが中々出来ていかないから(ここには移動の不便さもかなり影響を与えてると思う)、「よく分からんけどこことこことこことか抑えれば楽しめそうだ、行ってみよ」とならないのではないか。まあ、中国メチャ広なのでこうしたパッケージ化が相当難しい国だとは思う…

あと、これは経験も混ざった印象だけど、大陸って香港台湾に比べると「コミュニケーションを躊躇うと只管ババを引くことになりやすい」気がするんですよね。で、そこにエネルギー使わないといけない。それが好きな人には堪らないけど、苦手な人はとことん苦手な旅行先ですね、大陸…

ところで話は変わるが、大陸と台湾の違いのもう一つが刨冰、つまりかき氷の有無だろう(いや、大陸にももう沢山台湾式スイーツ店あるけどさ)。華人(特に女性)は冷たい食べ物は身体を冷やすという理由で極度に嫌う人が相当居るけど、台湾はこれを売る店が沢山ある。中華圏の中でここまで吃冰するのは多分台湾人だけだろう。何故みんな大陸に行かずに台湾に行くのか。それはこの刨冰があるからですね。みんな八寶冰食いたいし、紅茶冰で喉潤したいもんな。刨冰はヤバい。なぜこれが日本や香港にないのか。本当に悲しくなる。

というわけで、今切実にアパートの一階に出来て欲しい冰果室を一挙に紹介したい。はよ来いマジで。

*1:もっとも、台湾は都市部も地下鉄網が全く無いので結局バスを使いこなせないとそこそこしんどくない?とは思う。台中は市内のバスに悠遊卡で乗ると10km以内なら無料。すごい

*2:大体そこまで熱心に海外旅行行かない人は、通信は現地のwi-fiのみとか、現地でsim買うとかじゃなくて、日本でwi-fiルーターレンタルしたり、日本のキャリアの国際ローミング使うのが普通では

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台湾で只管食っていたこと

先日1週間ほど台湾に滞在する機会があった。
偶々日本のゴールデンウィークと被っていたので台北や台南では日本人がめちゃくちゃおり、外国にいる感じが全くしなかったが…(そういえば、滞在期間中に日本は改元していた。自分はまだ令和の日本の土を踏んでいないので、このまま清朝の遺臣みたいに平成を使い続けてもいいかな、と思ったりする)

台湾は本当になんでも旨かった。用事と観光以外は延々食っていたと思う。なんでも美味いし物価も安いし、自分が今いる特別行政区ホンマ何なん……という気持ちになってしまった。最近更新が滞っているので、とりあえず旨かったもの(の一部)をまとめて紹介する。台湾ニュービーなので、基本的には有名店ばかりですが…偶々立ち寄ったもの以外は全て、foursquareに頼りました。自分は行った場所行きたい場所の管理を全て4sqで行なっているので、サービス終了とかにならないで欲しいですね、お願いします……

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