亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

りんご飴、糖葫蘆、Candy Apple

おはようございます、いよいよ年の瀬といった感じ、年末イベントを沢山控えて皆さん如何お過ごしですか?自分は先週末から多分ノロ人(ひと)になってしまい、高熱と吐き気、胃のむかつきに苦しんだ。横浜を愛する普通の横浜人だけど、暫く家系ラーメンは控えようと思います……

 ところで、昨日たまたま糖葫蘆(糖葫芦/tánghúlu)という食べ物の話になった。糖葫蘆というのは中国の街中でよく見る、果物を串刺しにしたやつに水飴をかけて固めたおやつだ。串に刺されているフルーツは、最近だとイチゴとかマスカットとか色々あるけど一番の定番はやはり山楂(さんざし)である。

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 山楂はバラ科の果物で、甘酸っぱくてビタミンC多そうでおいしい。同じバラ科のスモモのような、リンゴのような、まあ山楂の味がする。おいしいと書いている以上自分ももちろん好物なんだけど、日本国内では中華街でも糖葫蘆を売っているのを見ないし、もしかしたら生の果実がそんなに出回っていないのかもしれない。
 日本で馴染みがありそうなものだと永昌源の山楂酒だろう*1。あと、個人的には果肉に砂糖や寒天混ぜて乾燥させた山楂條という乾き物(といってもネットリしてるけど)がおすすめ、お茶請けに良い。これは中国物産店で本当に安価に購入できる……

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  で、この山楂の糖葫蘆で思い出したのが日本の縁日の定番、リンゴ飴である。リンゴ飴とこの糖葫蘆関係あるんだろうか、という話。
 リテラシーが低いのでなんでもかんでもwikiを参照してしまうが、wikipedia日本語版の「りんご飴」の記事によれば、日本の縁日のみならずヨーロッパでもガイ・フォークス・デイやハロウィンの定番になっていることがわかった。発祥については、Newark Evening News の1948年11月28日記事を引用してこう記述する(孫引き…

りんご飴は、William W. Kolb によって発明された。Kolbはニューアークのベテラン菓子職人で、最初のりんご飴は1908年に生み出された。クリスマス商戦に向けて彼が店でレッドシナモンの飴を作っていた時、彼はいくつかのりんごをその飴に浸し、ディスプレイに並べた。その初めて生産されたりんご飴は5セントで販売され、後に年間で数千個のりんご飴が販売されることとなった。間もなくりんご飴はニュージャージーの大西洋沿岸(Jersey Shore)で販売されるようになり、りんご飴を扱う店は国中に広がった。

 これをもってリンゴ飴の誕生を20世紀初頭のアメリカに置くことができる。この説の強みとしては、縁日のもうひとつの定番である「綿あめ」も19世紀末のアメリカで生まれ、万博を経て世界中に爆発的に普及したお菓子であるということがそれなりの援護射撃になっていることだろう。
 しかし、これと縁日のリンゴ飴は直に結びつくだろうか(話の出だしが糖葫蘆なのでどうしても糖葫蘆と絡めたい人間になっている)。出典は忘れてしまったが、満洲引揚者の回想に、山楂売りの行商から糖葫蘆らしきものを買って食べた話を読んだことがある。日本の縁日のリンゴ飴の経路として糖葫蘆を見ることはできないだろうか。こちらの説の傍証としては、日本にはリンゴ飴のほかにアンズ飴があるのがやや援護射撃になっているような、なっていないような…まあ、インターネットの海ではアメリカ由来と糖葫蘆由来の両方の説がぼちぼち支持されているようであった。
 またこれは後者の説から派生する可能性の一つとして、戦前戦中、あるいは戦後になって引揚者が永昌源の中国酒よろしく糖葫蘆を導入したことはあり得るだろうか…?

 とにかく中国語版wikipediaの糖葫蘆の記事を読むと、糖葫蘆は元は京津地方のお菓子で、起源は遼の時代に遡るとされている。その起源については以下のような伝説もあるという。

有民间传说提到糖葫芦起源于宋朝南宋光宗皇帝给他的宠妃治病张贴皇榜向民间征集验方,一个江湖郎中揭榜进宫,开出了冰糖水煮山里红的方子,后来验方流传民间形成了现在的糖葫芦。
(民間伝承では糖葫蘆の期限は宋にあるといい、南宋の光宗が彼の寵愛する妃の病を治そうと、全国の民草に御触れして有効な処方を集めた。ある医者が宮城へ呼ばれ、処方したのが水飴で固めた山楂であった。後世にこの処方が民間へ伝わり現在の糖葫蘆となった)
也有民间传说称冰糖葫芦起源于隋朝,当时的朝廷以一人一枝穿有山里红的糖葫芦奖励功臣,这种方法后来流传民间形成糖葫芦。
(またある伝説には、糖葫蘆の起源は隋にあり、当時の朝廷では一人に一本の山楂の糖葫蘆を以って功臣を表彰したという。これが民間の糖葫蘆になったというわけである)

…実に胡散臭いが、まあ西漢の頃には原始的な製糖技術があり、明代には白砂糖の製造法が確立していたような国である*2。相当に昔から食べられていたのは間違いなさそうだ。尤も、最初は宮廷で食べられる高級なものとしてだが*3
 糖葫蘆がCandy Appleより900年ほど早く生まれていたということで、ここで一旦中国由来説の立場になって近代以前の日本におけるリンゴ飴(アンズ飴)の可能性を検討してみたい。明治に西洋のリンゴが入ってくる以前には和リンゴがあったものの*4、江戸時代の砂糖の消費についてはよく分からない。中国から唐船やオランダ船を通じて安定供給があったものの庶民には渡らない貴重品であったという定説がある一方、「輸入量の3分の1が菓子の材料であり、3分の2が「下賤の食用」「小買のなめ物」すなわち貧しい人々が空腹を満たす食用……底辺労働者の貴重なカロリー源*5」であったということで、庶民の口にも砂糖が渡っていた可能性はあるが、それがどのような形であったかはあんまりはっきりとしなかった*6。和リンゴを水飴で固めたリンゴ飴ってあったんだろうか。まあ個人的には、少なくとも近代以降の発明だと考えるのが妥当だと思われるのだが…この辺りは江戸の風俗についてもっと知らなければならないと痛感した。
 まるで水飴のように煮詰まった(誤用)ところで、最後に日本のリンゴ飴の発祥についての知恵袋を眺めてお茶を濁したい。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

昭和ですね‼
戦後、平和が訪れて、門前仲町の職人さんが始めたようです。

これがはっきり分かればなんかもう少し進展がありそうなものなのだけど、出典……というわけで、仮にこれが正しい情報だったとしても、まだアメリカ中国どちらの可能性も(そして引揚者由来の可能性も)消えないままに。
 また、今回は日本においてりんご飴が内発的に発明された可能性についても検討出来ていないので(まあ、無いとは思うが)、それらを併せて気が向いたら今後も掘り下げていきたい、かも…

*1:永昌源といえば、満洲樺太で酒造業を営んでいた引揚者が立ち上げた会社である。戦後日本における中国酒の普及に「満洲」が絡んでいたのだ

*2:中国の製糖技術史に関しても百度検索に拠っているので怪しいところも多い。NeedhamのScience and Civilisation in Chinaのvol.6が丁度製糖技術について書いているようなので、後ほど読んでみたい

*3:ここまで書いていて思い至ったことに、『一休さん』の水飴の話がある。一休宗純の和尚が隠し持っていた水飴というのは室町時代当時、明から舶来の砂糖を使った貴重なものであって、先述の伝説等を見ると和尚がこれを「薬」として扱っていてもなんら不思議はないということである

*4:と、ここでリンゴの品種が気になって来たのでリンゴ飴で一般的に使われるリンゴの品種を調べた所、姫林檎(イヌリンゴ)というリンゴとは別物の果実がサジェストされた。中国原産らしい。おっ…とはいえ現在は小玉や紅玉など、小さくて酸味の強いものが用いられ、総称として「姫りんご」といったりするらしい。

*5:八百啓介「江戸時代の砂糖食文化」農畜産業振興機構、2011年。2017年12月21日閲覧。

*6:幕末には菓子だけでなく定番の調味料となり、「江戸の濃い味」が確立したという。江戸時代の砂糖について|砂糖(株)丸千、2017年12月21日閲覧。