香港の風景には文字が溢れている。
「香港」と聞いて多くの人がイメージするような、空間を覆い尽くす看板は勿論(実際には、こうしたネオン看板はどんどん減っていっているのだけど)、広告、ポスター、空白は無駄であると言わんばかりに、あらゆる隙間に偏執的に文字と情報が詰め込まれているのがこの街の風景を特徴付けていると思う。香港の人々が持つ、空間有効活用への執着は、こうした文字に限らず大牌檔であったり、劏房であったり、あるいは日本の首都圏並みに狭いパーソナルスペースなど、至る所に見出すことができる。過剰な人口密度が生み出した性向だろう。
僅かなスペースを有効活用して情報で埋めまくろうとする香港人の熱意
— のうやくん👲🏼💂🏻 (@Yamidoh) 2019年2月18日
#他人に理解されにくい自分の好きなもの pic.twitter.com/8SJWtatxML
こうした目がチカチカするような文字情報の洪水は看板やポスターのような合法的なものだけでなく、勝手に貼られたビラや落書きによっても支えられている。政府の注意書きも虚しく、あらゆるところにビラやスプレー、サインペンによって、ボイラー、下水、ソファーの修理といった広告が試みられているのだ。あと、電波を受信してしまった人の怪文書や金銭・痴情の縺れからの晒し上げなど、ヤバいものも結構あるけど、それは流石にアップ出来ません……
この情熱を見よ。
殆どの非合法な掲示物・落書きはこうした広告だが、中には経済的な動機によらない落書きも見つけることができる。それが世相批判・政治風刺のためにされるもの…落書(らくしょ)だ。
古来より落書きによる世相批判や政治風刺は広く行われており、日本の二条河原の落書など、歴史に名をとどめている「作品」も多く存在している。
中国においても農民反乱の際に「掲帖」と呼ばれる檄文が壁などに掲示された。文革のきっかけを作った「大字報」もこの流れを汲むとされ、大鸣、大放、大字报、大辩论の四大として、自由な言論活動を保証するものとして位置づけられ、憲法にも採用された。これは「自由な」言論活動が中央のコントロールを外れ、やがて不要視されるようになる「北京の春」まで続けられる、らしい。これはあまり関係ないけれど。
香港に見られるこうした落書き、Tiwtterと変わらないような排泄物じみた呟きも勿論多いけど、わざわざ道具を用意して人目を憚って書かなければならないハードルの高さからか、中にはちゃんと練られた文章であったり、異常なる熱量をもって認められたものも存在する*1。
勿論こうした落書きは軽犯罪に属するものだし、決して褒められたものでもないけれど、昨今の様々な事例を目にするにつけ、単に落書きもないクリーンな、秩序だった風景がいいものである、とは自分には思えなくなった。
~落書きは止めましょう~
— 東京入国管理局 (@IMMI_TOKYO) November 20, 2018
11月19日早朝,港南大橋歩道上にて。
表現の自由は重要ですが,公共物です。
少しひどくはないですか。。。 pic.twitter.com/eHVO1f37jR
例えばこの落書きの出現と消滅を巡る一連の物議など。
何かあれば直ぐに晒され、炎上し、更には「けんま」までされてしまうインターネットに対して、街中の壁、便所のドア、そういったものこそ真に匿名な原初のSNSではないか。そして、景観を汚し、秩序を乱すこのような落書こそ、ある意味では香港の言論の自由を象徴しているのではないか、と思った*2。そしてそういうものを集めようと思ってアカウントを開設したわけだ。
それがこいつです。見つけた地点、撮影日、原文と必要なら解説を加えたもの。読み、解説内容に誤りがあったり、何か見つけましたら僕までお教えくださると幸いです。以上宣伝でした。
(追記)
今更だが最近になってドンピシャの香港のグラフィティや政治落書きを扱う書籍の存在を知った。
張讚國、高從霖『塗鴉香港—公共空間、政治與全球化 [第二版]』2016