亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

元朗でぼんやりすること

元朗という街が香港の北西部にある。港島・九龍からは山で阻まれた地にあり、2003年に西鐵が開通するまでは港島・九龍への交通をバス路線に依存していた街。元朗から屯門にかけてはニュータウン開発に併せ輕鐵(ライトレール)が敷設され、香港のいずれの場所とも異なる独立した交通網と独特の都市景観が生じている。

元朗屏山

非常に遠く(香港人の感覚では、だが)、辺鄙な所という印象もある一方で、深圳湾を挟み広東省に面している立地で、かつ香港には珍しく肥沃な平野が広がっていたことから、明朝以来の入植ではその最初期に開発が始まった場所であり、定期市の設置とともに商業地としても発展を遂げた、香港随一の「古都」でもある。市場を支配していたのは新界五大氏族のひとつ鄧一族で、屏山の鄧氏は團練(私兵団)を組織してイギリスの新界接収に抵抗した。結局、イギリス統治下でも彼ら有力氏族の権勢は温存され、今でも一帯には彼らの所有する絢爛豪華な祠堂や家塾といった文物が残されている*1

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中心市街を歩くと近年問題になっている水貨客目当てのドラッグストアや貴金属店の侵攻もそこまで目立たず、地域密着型の飲食店が多くあり、遊歩道に机や椅子が出されてみんなで路上を楽しむのんびりとした空気が流れている*2。この独特の景観からは「民国でも人民共和国でもない、もう一つの大陸都市のあったかもしれない姿」という感じがする。個人的に香港でも好きな街の一つだ。「香港らしさ」のステレオタイプからは大きく外れた街かと思う。

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西鐵の駅の北側には旧墟(定期市の跡)とそれを取り囲むように原居民の村落が点在している湿地帯が広がる。元朗の村々を通り抜けつつ10分ほど歩くと簡素極まる碼頭があり、香港唯一の手漕ぎの渡し船が元朗の市街地と湿地帯の島の中にある南生圍なる村とを結んでいる。たった1分の船旅だが、のどかで非常にリラックスできる。

乗客も船頭のオッサンもタバコを吸っている。恐らく香港で唯一の喫煙可能な公共交通機関でもあろう。片道1分に7ドルかかるが、この渡船がなければ南生圍までかかる唯一の自動車用の橋を使うことになり、ひどく遠回りになってしまう。元朗市街地から最短距離で村までを結ぶルート上のこの渡船は、間違いなく生活上必須のものだ。

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行った先には耕作放棄地と廃村、そして沼に浮かぶ鄙びた士多(ストア)。士多の多くは週末だけ開いていて、飲み物や軽食を提供している。

水上テラス席で10ドルの豆腐花を食べながらぼんやりする。時間が止まったかのような沼地の向こうには残された廃村と、ニュータウンのコピペのような住宅群。反対を向けば、茫々たる沼地の遠くに燦然と光り輝く深圳の高層ビル群が望める。余りにもアンバランスな風景は、けっして自然な成り行きでそうなったものではなくて、割譲地と租借地、移民と原居民、一国二制度と改革開放という様々な制度のレイヤーが重なりあって形作られた「歪み」であって、この歪みこそが香港という都市を魅力的でユニークなものにしている。元朗という、平たくて広々とした「香港らしくない」街の外れにあって、寧ろこの風景こそが香港らしさだよなあ、と思った。

六四30周年にはじまり、七一に至るまで(まだ続いているが)の政治の季節を経験している香港。だからこそ、こういう所でのんびりすることも必要だと思う。新界は最高。

*1:https://www.amo.gov.hk/b5/trails_pingshan.php

*2:なんと元朗には街の中心に半屋外の熟食市場が3箇所も存在している。参照:食物環境衛生署,元朗區街市/熟食市場