亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

汕頭の旧市街に行ったこと(陶芳酒楼, 万安街)

汕頭に行った。嶺東とも呼ばれる広東省東部の潮汕地区は閩南語系の潮州話の世界で、広東語は殆ど聞かれない。バスの音声案内も普通話と潮州話だった。

汕頭は1860年に潮州に代わり開港場となった地で、ここからタイを中心に南洋へ多くの華僑を送出した僑郷でもある。自分の祖父母世代だと汕頭といえば刺繍入りの白いハンカチだと思うが、輸出産業であったためか市内で販売されているのを全く見なかった。あるいは、すでに廃れてしまったのかもしれない。地元の大学生に汕頭の伝統工芸品についてのアンケートを頼まれたが、その中にも「番花」(抽紗)の項目は存在しなかった。

旧市街には小公園と呼ばれる円形広場を中心に特徴的な騎樓の街並みが残るが… 

汕頭

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メインストリートの大部分は観光地としての整備の真っただ中にあり、死んだ状態だった。整備が済んだ箇所(小公園周辺)も観光客向けの商店がチラホラ開いているだけで、活気がまるでない…

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大規模に街を破壊し、元あった店子を追い出して行われる整備事業にはあんまり感心しない。勿論、まともな修繕を施されてこなかった旧建築の多くに倒壊の危険が有り、住人もよりよい生活環境を望んでいるのだろうということは理解できるが…*1上の画像左側に残されているのは汕頭僑批業(華僑からの送金・郵便の取次業)同業公会の跡地だ*2

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一方、メインストリートから路地に入ると、

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まだまだ沢山の旧建築を目にすることができるが、その多くは既に無人となっているか、危険建築として立ち退きの対象になっている。これらの建物の多くでは内部の床、天井、梁は木造であって、雨が多く高温多湿な環境下ではメンテナンスがされないと直ぐに朽ち果ててしまうのだろう、外側のみを残して崩壊しきったものも多く見られた。

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そんな中で気を吐いていたのが万安街の陶芳酒楼だった。往時は汕頭の四大酒楼の一つとして名を馳せたホテル・レストラン・娯楽の総合施設で、ここは魚翅(フカヒレ)料理が有名だった*3。門柱には文革期のスローガンが残る。曲がり角を囲むようにしてL字状に建てられていて、上の写真の2つの門はどちらも酒楼の入り口になっている。向かって左の入り口から中にお邪魔した。

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ここには民国期に国民政府によって花会(妓女の管理組織)が置かれ*4、解放後は学校、旅館、市政府の事務所を経て現在は集合住宅になっている。なんとも多彩な使われ方をしたものだと思う。それだけこの建物が立派で丈夫な作りをしているということだろう。

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階段からして華やかで、かつ木造ではない。登るのに安心感がある。

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めちゃくちゃ暗いが、欄間(って言わないよな、何)の装飾やステンドグラスが美しい。

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そして何より、中央に現れた木造階段の存在感よ…あまりに暗いのと美しさとで、階段に猫が鎮座ましましていたことに写真見返すまで全く気づかなかった。

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破れた屋根から入る外の光が綺麗だ…とはいえ、この状態は建物にとって相当にまずいとは思う。

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隣の棟に移った。こちらは窓と吹き抜けによって廊下部分も明るい。装飾の華麗さは先ほどには及ばないが、ホテルだったときの様子がよく分かる。各部屋には(現在は)シャワー設備が存在しないようで、廊下に増設されてあった*5

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美しいが痛みや汚れの痛々しい吹き抜け。このまま手酷い修復を受けずに残っていて欲しいとも思う一方で、これ以上放置され続けても建物が不可逆に損なわれてしまうのではないか、とも思った。ホテルとして泊まってみたさもある…笑



*1:数年前に始まったらしいこの整備だが、自分としては急速で乱暴な印象を受けるものの、遅々として進まないことに不満を抱いている住民が少なくないことに驚かされた

*2:鄭緒栄、張如強編『汕頭:老城記憶』汕頭大学出版社、2018年、26頁。

*3:前掲書、181頁。

*4:民国期、妓女を登記・管理する制度が完成していたらしい。勿論、これが隅々まで貫徹されていたとは思わないが。参照:民国時代の中日妓女の許可申請書_中国網_日本語

*5:何人か住民の方とお会いしたので写真を撮っている旨お伝えした。特に問題は生じなかった