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東京湾フェリーで帰浜したこと

 先日、千葉に行く機会があり、帰浜の際に折角なので金谷〜久里浜を結ぶ東京湾フェリーを利用することにした*1。1時間に1往復あり、気軽に利用できる。720円という運賃も手頃だ。何より、混雑する東京を経由せずに帰れる事は、日々田園都市線に乗っている者として非常に魅力的だった。笑

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 内海とはいえ、東京湾は広い。海原の開放感、日差し、中国人乗客の投げるパン屑を追うカモメの群れ、吹き付ける潮風、行き交う船舶を堪能しつつ、東京湾浦賀水道の境界を掠めるようにして、船は久里浜へと向かう。

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 40分と短い間ではあるが、フェリー特有の中途半端なゴージャス感は、船旅の良さを感じさせるものだった。最近スター・フェリーやシーバス以外のまともな船に乗っていないので、ひと時の非日常を満喫した。多分電車に乗って東京経由で帰るより時間がかかっていると思うけど、ちょっとした贅沢である*2。次は東京〜横浜間のフェリーを使ってみたい。

 今回の家路にはフェリーの他、内房線京急線を利用したので、東京湾の東と西の風景を車窓から眺めることになった。同じ湾岸の集落といっても、内房と三浦〜横須賀の雰囲気は結構異なるように感じた。以下に比較してみたい。

 内房では海に至る斜面がなだらかで、風景も穏やかなように感じた。一方で三浦は山が海に迫っており、非常に窮屈で、薄暗い印象を受ける。尤もこれは内房線京急線の走行する位置や、西陽の関係かもしれない。三浦半島はもう家路に就いている感覚が濃厚で、日常に戻るという気分が其印象を暗くしているということもあろう。
 また、内房では集落と集落の間の連絡が比較的容易で、開放的な雰囲気があったが、三浦は其々の集落の入り江が深く、急峻な山に阻まれて集落間の陸路での連絡が困難であったことが伺われる。三浦半島東側の薄暗い印象は、こうした閉鎖性や、近代以降の軍事の要素も相俟っているのかも知れない。とはいえ、これらの要素は良港であることの証明にもなっている筈である。

 友人は「栃木も群馬も『東京からどこかへの途中』なのに対して、千葉の先には千葉しかない。東京から一番近いどん詰まり、地の果てが千葉なのだ」と言っていたが、自分はチバットに開放感や大らかさを感じる。まあ、それが田舎ということかもしれないし(三浦側の窮屈な感じは紛れもなくそこが横横・東京という都市の一部であるからだろう)、或いは自分の日常に対する逃避願望からくる、生活圏の外側への憧れなのかもしれない。
 なんにせよ、千葉は良いところだと再認識したので、春になったらまた行きたいと思う。きっと菜の花は終わってしまっているだろうけど。

 

追記:記紀ヤマトタケル伝説等にあるように、かつてこの浦賀水道は主要な海上交通ルートであり、東海道相模国三浦半島からこの浦賀水道を通って安房国➡︎上総国➡︎下総国➡︎常陸国へと至っていた。現在の横浜以北である武蔵国は相模からアプローチするには多摩川利根川といった河川が多く困難であり、帰化人の入植が増えるまではより安全な山伝いの東山道に編入されていた。上総・下総の順が南北であることの説明でこの上古のルートを挙げて、房総においては南部の方が上方に近かったということを説明するものを読んだことがあるが、この東京湾フェリーはそうした歴史的な道でもあるのだった。

*1:この東京湾フェリー、戦後に閉鎖機関指定された国策会社「東亜海運」と同名で戦後に設立され、そのファンネルマークと社旗を引き継いでいるらしい。wikipediaの沿革は年号の並びが怪しくて、信用がならないが。もしかすると戦中の東亜海運関係者の再就職先として作られたものなのかもしれない

*2:浜金谷駅からフェリー乗り場までは徒歩10分弱だけど、久里浜港から久里浜の駅前までは結構かかるので、バス乗車が必要になるのがやや残念である。時間に余裕があれば徒歩でペリーの記念碑などをまわってみるのもいいとは思うが、と書いてから、バス・電車の連絡乗車券の存在に気付いた。無駄なことをしてしまった