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日原古道に行った(その2:「古道」入口〜廃吊橋)

前回からの続き)

 さて、「日原古道」に入る。「山行が」のレポート時点では古ぼけた林業関係者以外立入禁止の看板が入り口に存在したらしいが、確認できなかった。まあ観光地図に載ってるしね。ここまでで既にそれなりに山登りをしているので結構疲れている。古道は途中まではあまりアップダウンしないだろうと期待しながら進んでいく。

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 序盤は下草もや落石もなく、等高線をなぞるように進んでいく。木漏れ日が心地よい道だ。なんでも、渓谷添いにある東電の鉄塔の保守用に今でも使われているようである。まあ、地図では実線で書かれている範囲なのでかなり気楽に歩いていける。

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路肩はコンクリで固められた石積みで、安心感がある。

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尾根では軽い切り通しになっているのか、転落防止も兼ねてか岩が置かれている。

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 まあ、実線部分は余裕だろう、出だしはそう考えていたのが谷ではこのようにガレが道を塞いでいたり、

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土砂が堆積して道が完全に斜面になったりしている。しかも路肩は道路を敷く際に綺麗に造成された崖である。これが怖い。もっとも、この写真の地点では、あんまり信頼できないもの山側にロープが垂れており、人の出入りがあることを感じさせる。

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この区間で一番気に入った光景。崖にはりつくように道が続いている。

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この尾根がすれ違い箇所になっていたのだろうか、やたらと広かった。石垣が美しい。

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 この尾根を曲がるとしばらく直進区間になった。上の写真を見ていただきたい。路面にガレキ等が堆積して荷重がかかったところに、雨や振動などによってコンクリで固めた路肩の下の土砂が一気に抜け落ち、綺麗な半円状に窪んでいる。こうやって暫く歩いていると、今度は日当たりのいい広場のようなところに出る。

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 ここが地図上の実線が途切れる地点で「日原古道」最初の見せ場、露天掘りの鉱山が綺麗に見えるポイントである。完全に壊れた祠がある*1。「古道」の大体中間地点にあたり、旅人はちょっとした広場になっているここで一休みし、祠に道中の安全を祈願してから再び出発したのだろうか。あるいは、対岸にある鉱山関係のものだろうか。

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 対岸からはこちらの広場に向かって吊橋が伸びている。見下ろすと谷底から既に相当な高さになっており、橋桁があった現役時代でも歩く気になれないかもしれない。ベンチカット法でギザギザに刻まれたかつての「トホウ岩」の姿が痛ましい。

日原下より流は稍東南に転じ南方からネズミザシ沢及樽沢を入れ、円形を画いて北に転ぜんとする処にトホウ岩が川べりに峙つている。これ又石灰岩の大露出で、高さ百米を越え、全巌樹木叢生ツゲの自然生群を為し、誠に貴重なる天然記念物である。本流は更に稍東南に転じて倉沢川を合する。(田島勝太郎『奥多摩 : それを繞る山と渓と』山と渓谷社昭和10年、287頁)

 青空と真っ白で幾何学的な岩山、廃橋…なんだか異世界に迷い込んだ感覚になった。現在の鉱山から見て対岸である「古道」側でもかつては採掘が行われており、道中には坑口などの遺構を見ることがあった。ふるぼけた廃電柱の足元にはひしゃげたトロッコ*2が放置されていた。

 異世界すぎる光景にしばし呆然とした後、いよいよ崩壊著しい(らしい)完全な廃道区間へと足を踏み入れていく。

続く

*1:「山行が」のレポでは台座の上に原型をとどめていた。10年ほどでここまでになってしまうのか

*2:もしかしたら索道のバケットかもしれない。詳しくないので全くわからない