亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

日原古道に行った(その1:氷川→大沢→「古道」入口)

 こんにちは。すっかり冷え込んで火鍋が恋しい季節になりましたが、みなさん如何お過ごしでしょうか。自分は火鍋のことばかり考えて過ごしています。

 

 今週のお題は「今年買ってよかったもの」らしいですが、自分が買ってよかったと思うのはOLYMPUS PEN EES-2です。ヤフオクで2500円とかでしたがセレン含め正常に動作しています。ハーフカメラなのでフィルムの粒子感も強く出るし、何より1枚あたりの現像代が半額で済んでお得。

 というわけで、先日奥多摩で撮影した諸々がようやく現像できたのでやっていきます。経済的な反面、36×2=72枚、使い切るのは意外とめんどくさい…笑

 

某日の週末、9時過ぎ。JR奥多摩駅到着。
 今回の同行者は香淀(@xiang_dian)さん。内陸の特殊な環境で医学を学んでいるオタクさんだ。山登りの経験があるので今回の「道歩き」の水先案内人にはふさわしい…

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駅前のこの食堂跡、マジでいい味出してますよね。馬鹿なので行くたびに写真撮ってる気がする。

 今回の主要目的地は「日原古道」。日原渓谷の北側に自動車道が整備される以前まで長らく日原氷川間を結んでいた道である。2人とも「山行が」で育ったのでここは以前から行ってみたい所の一つだった。先人の知見をそのままトレースするので新規性はまったくない記事になります。とはいえこれはレポートを拝読していなかったら踏破は土台無理だったろうと思います……まあ、PENで撮った写真見て!という記事です。

  「道」をテーマに散策するのは3泊4日かけて大山みち(青山道)を踏破して以来。大山道は距離と途中の遺物の少なさに疲れたが、今回は全く別の方向性で疲れそうである。軍手と北海道で買った熊鈴を持って挑む。

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 観光案内所のマップにも「日原古道」の案内があった。半分は公認されたスポットのようだし、途中寸断されている部分も行けるところまで行ってみたいと思い、バスに乗り込む。

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 奥多摩駅から日原鍾乳洞方面へのバスに乗り、白妙橋で下車。今回はこの吊橋を渡り、大沢集落に出て、東側から古道を攻める。道が途中でダメになっていても石灰の採掘場は見られるし。
 バスを降りると吊橋の向こうに巨大な石灰岩の露頭が聳えていてビビる、とはいえ日原渓谷的に、この岩はさほど「巨大」でもなさそうなのである。渡った先には岩をくりぬいただけの素掘りの隧道があり、林の中を大沢集落へと緩やかに上昇する歩道が続いている。斜面に渡してある橋は、ところどころ朽ちていて全くあてにならない。ここはまだ「古道」区間ではないのだが…?とはいえこうした隧道が残ってるあたり、それなりに歴史ある道なのかと思う。

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大沢集落へ出た。斜面に張り付くように数件の民家が並んでいる。道は集落の間を九十九折になって、上へ上へと登っていく。九十九折の頂点には寺院と神社が鎮座しているそうだ。「古道」もその方面にある。

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 こうした石碑があると、古人もこの道を通ったのだという実感が湧いて嬉しい。像容からして恐らくは馬頭観音か。日原への「古道」に荷馬車が通っていたという話を思い出す。恥ずかしながら制作年代の確認を怠ってしまった。早くも上り坂によって疲れがきていた。
 村人は全員後期高齢者ながら予想以上に住んでおり、九十九折の踊り場で立ち話や、軒下で農作業をしていた。挨拶と軽い世間話の折に何処に行くのか尋ねられ、「古道を歩いてみようと思います」と話すとああ、なるほどといった反応。やはり結構歩きに来る人多いんだなあ。集落の真上で道は自動車道と合流、これを暫く進むと折り返し地点に

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廃された「古道」部分の入り口。なんとなく草生した道が続いている。

 さて、ここに到着した時点で10:10。「古道」の全長は大体6kmほどだろうか。どれくらいかかるか、そもそも途中で引き返さざるを得なくなるかわからないけど、日の暮れないうちに帰ってこれるように時計は小まめに見よう、まあ6kmなので意外と早く踏破できちゃうのでは?という妄言を吐きながら(吐いたのは香淀さんではなくて勿論トーシロの僕です)先を進む。

 

続く