亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

香港の山がすごかった①:馬鞍山

はじめに

香港のレジャーの一つにハイキングが挙げられる。
香港の人たちにオススメされることも多く、また書店には「行山(hàahng.sāan)」についての本も沢山並んでいる。instagramでもHike迷や山ガールの自撮りがめちゃくちゃ出てくるほど人気なのが窺われる。
もっとも正直な所、自分は「香港って植民地期以前の歴史建築もあんまりないし、文化景點が少ないからその反動じゃない?」などと若干ナメたことを思っていたのですが、

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吐露港の向こうに聳える馬鞍山(702m)

新界でこんな風景目前にしたら印象が全然変わるわけです。山の形がどうかしてるし、大体こんな低緯度なのに森林限界300mとかなのか?と思えるくらい稜線の風化がすごい。もっとも、香港島の時点で相当に険しい印象はあったけど…

常々「香港は何もかもを大袈裟にした神戸」と言っている僕ですが、街の背後に屏風のようにそそり立つ香港の山々はまさに六甲山系を彷彿とさせる。

今まで香港の山に関心がなさすぎて全然知らなかったけど、日本人も結構ハイキングを楽しんでおり、トレイルの解説本なども出ているし、ブログとかでも色んな登山レポを読める。

香港アルプス ジオパークメジャートレイル全ガイド

香港アルプス ジオパークメジャートレイル全ガイド

  • 作者: 金子晴彦,森Q 三代子
  • 出版社/メーカー: アズ・ファクトリー
  • 発売日: 2010/06/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 というわけで、自分も空いている日には体を動かそうと、早速馬鞍山へと向かったわけである……

①馬鞍山

水浪窩(15:30)~麥理浩徑第4段~馬鞍山(17:30)~牛押山(17:58)~吊手岩(18:44)~馬鞍山家樂徑~馬鞍山郊野公園燒烤地點(21:00

この日は出遅れた上にバスの乗り継ぎに失敗し、ルート起点到着が15時半になってしまった。今回は下見にしよう、麥理浩徑を途中まで行って、日没前に戻って来ればいいか…と思っていたのですが 

馬鞍山

この風景に当てられ、「ここの天辺から夕焼け見ると綺麗だろうなァ…」などとおもってしまった。実際、麥理浩徑は総督の名前が付いたメジャートレイルなだけあってかなりよく整備されており、多少の無茶がききそうな感じはあった(ナメている)。

馬鞍山

こんな物々しい警告を越え、馬鞍山の尾根筋を登っていく。麥理浩徑とはここでお別れになり、道も一気に心許ない感じになっていく。

馬鞍山

山肌からは灌木も失われ、異様に見晴らしがいい。尾根筋にいるので下から吹き上げる風を受け、心地よさ反面、バランス崩すことへの恐怖や日没への不安が増していく。

馬鞍山

分岐点から30分近くかけ、漸く山頂(702m)へ到着。360度何も遮るものはなく、最高の見晴らしだ。最もすでに太陽は沈みかけており、

馬鞍山

続く牛押山(677m)、吊手岩への道が尾根伝いに伸びている。あっこれ須磨アルプスの「馬の背」じゃん、流石は「馬鞍」山。尤も、こっちのが余程きついが…

結局、糧秣も飲み水も切れる中、真っ暗の中吊手岩の崖に垂らされたロープを伝ったり、四つん這いで岩肌を掴んだりしつつ、なんとかこの山を下りてくることができた。

牛押山に辿り着いた18時頃にはすっかり辺りも暗くなっていたため、吊手岩へのルートが見つけ辛く(ここも警告の看板を越えた先にルートが続いていた)、絶望感から暫し蹲ってしまった。一時はここで一夜明かす事も検討していた。本当に危ない…一人という事もあって、以前奥多摩の古道を歩いた時以上に恐怖を感じた。

日原古道に行った(その1:氷川→大沢→「古道」入口) - 亞的呼聲 Adiffusion

馬鞍山の尾根筋を渡る道は、メジャートレイルほど整備されてはいないけど、踏み跡以上の道はあるので、真っ暗な中でも道を踏み外して崖下に真っ逆様、というような危うさはそこまでなくて安心。ただ、やっぱりライトあると便利ですね。麓に近いところの東屋に辿り着いた時、人界に近づいた安心感から脱力してしまった。そのまま東屋で3,40分程気絶していたので風邪を引いたけど…

下山が遅れた怪我の功名として、蛍を見ることが出来た。今回見た種は結構大きくて、光も強くてとても幻想的だった。亜熱帯とはいえ晩秋に蛍がいるとは思わず、最初は疲労の果てに幻覚が見え出したのかと思って結構焦った。

おわりに

香港の山、思った以上に風景が壮大で気持ちいい。そして難易度も思っていたより高い所がある…当たり前だけど、余裕のある計画を立てて臨んだ方がいいですね。そもそも、馬鞍山は須磨アルプスと同じくらいの感覚で行く所ではなかった。標高も倍以上違うし……計画性の微塵もない人間なので、本当にこういう所が弱い。

今後、より装備を揃えて、身体も鍛えつつ少しずつ攻略していくつもり。楽しみです。アウトドア専門店のDecathlonが色々安く売っていて良さそう。部屋の椅子と机もアウトドア用の折り畳みをここで買った。

 

 

香港の魚を食べる①:潮式凍烏頭(潮州風蒸しボラの冷製)

香港で流通している魚介類を色々食べていこう、という企画です。シリーズ化予定。

はじめに

香港の食といえばその多彩な海産物だろう。点心にもふんだんに使われるエビを始め、カニ、ハタ、シャコ……華南随一の大河・珠江の出口に位置し、三方を海に囲まれる香港。イギリスがやって来る前の「苫屋の煙、ちらりほらりと立てりし処」であった時代から、ここに住む人々の多くは漁撈を生業としてきた。

香港が国際的な金融都市に変貌し、また流通の進歩によって内地、日本、東南アジア諸国などから乾物以外にも様々な水産物流入するようになっても、香港の漁業は依然として重要な地位を占めている*1

西貢や離島まで行かなくても(実はまだ行ったことがないので行ってみたいものだ)、店頭に生簀を構える海鮮酒家は勿論、香港中あちこちにある街市を覗けば、香港に住む人々の魚介類への拘りの強さを感じられる。関西では見かけるようなものから調理法も全く想像が付かないものまで、日々多種多様な魚介類が新鮮な状態で店頭に所狭しと並べられおり、大いに賑わっている。

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街市の魚市場。石斑などの高級魚から日常の魚まで、ありとあらゆる魚介類が揃う。

魚の棚以上の活気に毎日当てられていると、自分でも何か試してみたくなるというもの。誰かを誘って頻繁に海鮮料理を食べに行ける身分でもないけれど、大体週1くらいで食べたことのない魚を試してみようと思い立った訳だ。 

…調理器具と調味料の不足により、従来はこのように焼き色をつけたら生抽と米酒で蒸し焼きにするだけの「雑アパッツァ」しか作れていなかったわけだが、市場で銀色に光り輝く魚が気になり続けていた。それがこの「烏頭」だ。

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光り輝く烏頭。奥に見えるのは倉魚(金鯧魚)

イトヨリ(紅衫)もマナガツオ的なやつ(金鯧魚/ 倉魚)も、なんとなく見た目に親しみ(食べられそう、という感じ)が湧く魚だったけど、こいつは全然見覚えがなかった。調べるとなんということはない、というかイトヨリやマナガツオ以上に出会っているであろう、津々浦々の河口付近で見かける「ボラ」だったわけだが。普段背中側しか見ないから、全く一致しなかった。

ボラは泥臭いというイメージがあるし、カラスミ以外に食べたことがなかったけれど、調べてみると水域によっては臭みもなく、刺身でも食べるような魚らしい。流石に刺身チャレンジはしないものの、当地の人々が食べているならその調理法に従えば絶対に不味くはないだろうという信念の下、香港において広東系に次ぐ集団である潮州人の調理法、「凍烏頭」に挑戦することにした。魚介に強い潮菜なら安心だ。このためにフライパンを蒸し器に拡張すべく道具も揃えた。

この凍烏頭だが、その実手順自体は非常に簡単な料理だ。①鱗も取らず、内臓を取り去っただけのボラに塩を擦り込み、②蒸すだけ。蒸しあがったらしばらく置いておいて冷ましてから食べる冷菜だ。味付けは下味の塩と、必要ならつけだれとして普寧豆醬か生抽を添えるのみ。こういう調理法はボラのみに限らず、総称して「魚飯」という。なんでも、保存設備のなかった昔、漁師が海上で手早く加工して出荷できるように生み出されたものであるそうだ*2

脂が多く柔らかいボラの身を、塩と冷却で引き締め、甘味を引き立てる*3。鱗を剥がさないのも蒸す際に旨味が逃げないようにする意図があるそうだ。シンプル故に、ボラ自体の目利きや蒸し加減の絶妙な技術が問われる料理である。目利きも技術もない状態でトライして大丈夫なのだろうか…

調理

街市に出ていたものはどれも素人目には鮮度が良さそうだったので、なるべく脂の乗っていそうな太めで身のしっかりした個体を選んだ。蘋果日報ありがとう…*4体長は30数cmほどで、35ドル。中くらいのイトヨリより高く、中くらいのマナガツオと同じくらいの値段だ。また、日本と同様に、街市のおばちゃんに鱗は剥がさずわただけ取ってと頼むことで(無料)、一番ウェットな作業を大幅に短縮することができる。

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ボラを洗う。背後にちらっと見えているのは「へそ」

大体のワタを取ってもらって持ち帰ったら、早速身の簡単な洗浄に入る。魚屋さんがワタを取ってくれた後なので多少楽だが、白子(魚油膏)が付いていたので身から引き剥がす。白子の裏には背骨とそれに沿うように太い血,管があるので、内臓周りの黒ずみや血を丁寧に剥がしていく。これが残っていると蒸した際の生臭みに繋がるそうだ。

洗っていて気づいたが、この魚は眼の周りから頭部の先端に向かってゼラチン質?の透明な膜に覆われている。これは脂瞼というものらしく、眼を保護しつつ視界を確保するものらしい。面白いですね。また、正面から見て逆三角形のような形をしているので、腹よりも背の方に肉がぎちっと詰まっている感じだ。仄かに桃色の、生で食べたら美味しそうな白身魚の肉。鼻を近づけても、他の魚と比べての殊更の生臭さというものは感じられない。

白子はあまり食指が伸びないので、本体と一緒に蒸して少しだけ味見することとして、もう一つ、魚屋さんがボラの腹の中に残しておいてくれたものに気づいた。「へそ」(幽門、魚扣)である*5。水底の砂ごと藻を食べるボラは、泥の排出の為に胃袋の肛門にあたるこの部位が発達している。鶏の砂ずりのような食感らしく、刺身の他に串焼きにしても食べられる珍味であるそうだ。確かに、鶏肉のような見た目。これは自分も試したいので、米酒に漬けておき、刺身風に食べることにする。

流水で良く血の汚れを落としたら、水気を取って塩を擦り込み、ラップで巻いて冷蔵庫で3-4時間置く。こうしているうちに、余分な水分が抜けて、ボラの身はより引き締まり、甘みを増していく、はずだ。

そして4時間が経ったので冷蔵庫から出し、余分な水分や汚れを拭き取って、蒸し器に掛けていく。しかし、何も考えていなかったので、ボラのサイズがフライパンの直径を超えてしまった。やむなく尾を断ち切って一緒に蒸すことに。切断面から旨みが逃げないことを祈りつつ、13分間強火で蒸して、5分間蒸らす。未だ慣れないIHコンロ、蒸す機能が付いているのだが、やや火が強すぎたか、ボラの片目が落ちて、脂瞼が白濁してまった。こういうものなのだろうか。それにしても、顔のあたりなんだか魚というよりデカい蜥蜴みたいだな。少し不安だ…

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蒸しあがった状態。尻尾切りたくなかったなあ…

実食

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熱々を食べず、常温まで冷ます。ここに潮州らしさがある

常温まで冷ました後、外出しないといけなかったのでラップをかけて冷蔵庫へ。帰宅後ビールも冷えたし、ようやく実食だ。

結構しっかり冷えていて、皿の底に透明な煮こごりが出来ている。実際の凍烏頭はここまで冷やすものなのだろうか、謎だ…色んな作例の画像を見ていると、腹側からパックリ開いたり、半身外したりして盛り付け、後はその身を刮いで食べる感じらしい。身が柔らかくホロホロ崩れていくので、綺麗に取り分けるのは結構難しそうだ。とはいえ腹骨も目立つし、鱗のついた分厚い皮があるので、刮ぐのはそこまで大変ではない。もっとも、蒸してから冷蔵庫に入れるまでの冷ましている時間がやや足りなかったために身がややモロモロしている可能性もあり、これは今後の改善点だろう。本来は蒸した後にしっかり乾燥させて、ある程度身を引き締める必要があるのだと思う。これはこれで、しっとりしていてうまいとは思う。

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脂瞼が白濁している。大きい鱗が浮き出ており、蜥蜴か何かに見える。

食べた感じは、普通に美味しい白身魚の味だった。確かに、鯛などとは違う独特の癖のようなものは感じるが、生臭さとしては感じられない。蒸す前に丁寧に身を洗い、塩を擦り込んだからだろうか、それともこの辺りのボラがこうなのだろうか。他の白身と比べての特徴は、その柔らかい肉質と脂。カビか?と思うくらい鮮やかな黄色の脂が肉と皮の間に浮いていて(「黃油」と言って、肥えている証らしい)、結構食いごたえがある。デカいトカゲをまるごと食べてるみたいな見た目だけど、全然いけるじゃん。ビールが進みます。

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蒸した白子。薄皮はやはり剥がすものっぽい。見た目はグロい

本体と一緒に蒸してみた小さな白子は、日本酒が欲しくなる味だった。ヤバい…しかし29度の米酒しかない。

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肝心の「へそ」の刺身は、本来日本酒に漬けるべきところを29度の米酒に漬けていたので、完全にホルマリン漬けのような状態になっていた。少し考えれば分かるようなことだが…砂肝のような食感は美味しいけど、噛み締めても完全に米酒の味しかしなくなっていた。これはリベンジしたいなあ…笑

 

*1:漁農自然護理署年報 漁業によれば、2015年時点で香港で食用にされる海産物の28%は香港で水揚げ・養殖されたものだ

*2:每日頭條「潮州魚飯,是飯也不是飯」2016年9月25日。魚飯と言うのは、生米を炊いたら米飯、生魚を炊いたら魚飯だから、とかなんとか…

*3:MamaCheung 張媽媽廚房: ★潮州凍烏頭 一 簡單做法 ★ | Chiu Chow Teochew Grey Mullet Easy Recipe

*4:超簡易!大廚教煮凍烏頭五個竅門 保證肥美香滑 | 2017-08-12 | 飲食男女 | 蘋果日報。目利きや蒸し時間など、餐館の女将のアドバイスが本当に参考になった

*5:街市で購入してから実際の調理の工程、部位の名称に関してはこちらの動画を参考にした。 烏頭😋 凍食👍 潮州名菜( 適合家庭煮法) - YouTube

渋谷のライオン、世界的のライオンと、「〜的の」という日本語にときめくこと

はじめに

 名曲喫茶ライオン、という店が道玄坂の百軒店にある。
 東京の名曲喫茶やレトロな喫茶店好きで知らない人間はまあいないだろうといった感じの、超定番の銘店だ。

 自分は名曲喫茶が好きだ。自分は日頃から余りクラシックを嗜まない方だと思うのだが、名曲喫茶に行けば知らない音楽(名演奏といった類の)に出会えるし、どことなく優雅な気分でリラックスできる。これはクラシック音楽というものを、非常にスノッブな態度で消費しているのだろうとは思うけど。
 更に言えば、コンサートと違って読書もスマホも出来るし、コーヒー1杯の値段で座れるし、コーヒーが飲めるし、吸いたい人はタバコも吸えるし、途中退席で白眼視されないし、普段使っている名創優品で200円のイヤホンよりは余程音質もいいし、何より演奏終わった後のあのクソ長い拍手が無いので最高だ*1

「〜的の」という日本語

 ところで、名曲喫茶ライオンは創業は昭和元年、現在の建物も昭和21年と、かなりの歴史を持った老舗なのだけど、その重厚な内観と壁一面の時代がかった音響設備(と建物が歩んできた時代の変遷を感じさせる便所の落書き)が物珍しいため撮影する客があとを絶たず、現在は撮影禁止だ。
 店に滞在した記念として、客が唯一持ち帰られるのがその月の定時演奏のプログラムなのだけど、その図柄や、「帝都随一」といった文面も、創業当時〜戦後まもなくといった感じのレトロな空気を纏っている。

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このプログラムの中に、僕が毎回眺めてはうっとりしてしまう(?)文言がある。

アメリカの雑誌オーディオに当店の演奏装置が写真入りで掲載になりましたので渋谷のライオンは世界的のライオンになりましたことを光栄に存じております。 ——昭和三十四年——(太字は著者)

 自分でもよくわからないが、僕はこの「〜的の」という表現を見ると脳でα波が噴き出るようになっているらしい。多分、日常からほぼほぼ消滅したであろうこの「〜的の」が、見慣れた口語体の中に突然現れる、その違和感に惹かれているのかもしれない、分からない……このことについて、意外に共感を集めたのでちょっとだけ、調べてみた。

 なんと、はてなブログにど直球の記事があった。

satzz.hatenablog.com

 当該記事では、現代日本語書き言葉均衡コーパス「少納言」を利用して「〜的の」の出例を探ることを試みていた。「〜的の」の出例が32件ということだが、思うに「少納言」の場合は70年代以降のデータからしか検索できないということもあろう。

 では反対に、「〜的な」を検索してみたらどのような結果が見られるだろうか?

日本語コーパスを初めて使った

先ほどの説明は説明としてわかるわけでありますけれども、何らかの積極的な指導というものが図られる必要があろうというふうに思うわけであります。衆議院常任委員会にて、竹村委員の発言。『第77回国会会議録』、1976年。)

これが「少納言」で発見しうる、「〜的な」の最も早い用例であった。「少納言」には『国会会議録』は1976年以降のものしかないので、これ以前の発言を確認することは出来ないが、少なくとも1971~75年に出版された書籍の内、本コーパスに収録されたデータには「〜的な」を含む文章は存在しなかったということになる。
 一方で、「〜的の」の場合、引用の疑いやそれ以前に書かれた書簡や全集への再録を除いても、

問題は二つあった。一つは対外的の問題で、ポツダム宣言受諾の条件、すなわち日本の国体の問題、天皇制の問題に対して、……細川隆元『男でござる:暴れん坊一代記 風の巻』山手書房、1981年)

であったり、

流行のプレファブのユニットハウスであり、情緒は毫もないが、機能的のようである。森村誠一『悪魔の圏内』実業之日本社、1988年)

或いは

古代の米についても、現在の米と同じように、最新の分子遺伝学的の成果を応用できることを示した点で意義は大きい。(柏原精一『図説 邪馬台国物産帳』河出書房新社、1993年)

など、90年代になっても例は少ないものの書き言葉としてはボチボチみられるようである(森村の用法は「〜的のように思える」の如き場合は殊更の違和感はないが…)。「〜的の」使用者は皆戦前生まれだった。尚、『国会会議録』での検索結果では、1985年の第102回国会衆院特別委員会で青山委員の放った「懐疑的の」が口語上に現れた最後の「〜的の」であった。
 書籍において、「〜的な」は1975年の外岡秀俊『北紀行』を皮切りに、86年以降爆発的に増え出すようだ。ここから、尤も、先行する記事が言うように、このコーパスは検索結果の表示にやや不安があることや、70年代の収録書籍数が少ないという懸念もある。
 政府白書に絞って検索すると、政府作成の文書においては恐らくは76年時点で既に「〜的な」に統一されていることが分かる。ここをもう少し遡って検討できればいいのだが……。

結論?雑感。

 まとめると、70年代には既に口語では「〜的な」が優勢であったものの、書き言葉に関してはまだまだ「〜的の」が用いられ続けていた。しかし70年代後半には既に政府文書で「〜的な」が採用されており、80年代半ばに至ると一般書籍においても支配的になった、と考えてよいだろうか。本来なら検索結果数などを図示したいところだが、パス……

 そもそも接尾辞の「的」自体が、江戸時代に輸入された中国の白話小説に始まり、明治に入って西洋近代がもたらした諸概念の翻訳に多用された経緯があり、当初その語感は硬く、専ら訓読体の学術・評論分に使用され、くだけた文章には用いられるところ少かったという*2。言文双方で「〜的な」が支配的になった後も「〜的の」が書き言葉として細々と命脈を保って?いたのも、「〜的の」の方がどことなく“戦前派”らしき雰囲気と格調の高さとを感じさせ、文語体をメインに使用されてきた接尾辞「的」との相性がよかったのかもしれない。

 また、これは想像の範疇を出ない考えだが、学校文法において「形容動詞」という区分が採用され、その連体形として「〜な」が採用されたことが大きいのではないか、とも思う。
 試みに、戦後学校文法の原点とも言える文部省『中等文法 一』および同『中等文法 二』(それぞれ1944年。広島大学図書館 教科書コレクションデータベース)を参照する。一が口語、二が文語である。これらの「形容動詞」の項目には、当然かもしれないが連体形として、或いは語幹のみの用例として「の」を用いたものは見当たらなかった。

Wiki見ただけだけど、形容動詞の連体形「~な」の語源は、文語「~なり」の連体形「~なる」が変化したもので、江戸末期以降こうした用法は見られなくなり、「の」で接続することが一般的になった、らしい。「〜的」という語幹に限って言えば、昭和の終わりには逆に「の」を「な」が食った状況が伺えて、面白い。

 

*1:勿論、一度きりの生演奏に対して拍手が長いのは当然のことだ、とは思いつつも、途中から両手に痺れを感じながら「指揮者何度も出たり入ったりせんといてくれ〜」とか、「伏せ拝」とか思ってしまう

*2:望月通子「接尾辞『〜的』の使用と日本語教育への示唆」『関西大学外国語学部紀要』(2)、2010年。尚冒頭の先行研究のまとめのみ読んだので、これはガッツリ孫引きである。時間があれば是非参照したい

Serriniの《油尖旺金毛玲》を聴いたこと

 ここ数年、広東語の勉強という名目でCantopopを聴いている。こうすると何にもなっていなくても勉強をしている気になるのでと、ても健康にいいと思う。とはいえ聴いてるのが張國榮やBEYONDとかの懐メロばっかりだったので、最近のCantopopも聴こうと思い立ち、香港高登討論區のスレで紹介されてたアーティストをざっと聴いてみた。
 あんまり聴けてない中ではMy Little Airport(最近?って感じだけど)、Another Kitchen、小紅帽あたりが好きです。多分聴いてみると「スマガからSwinging Popsicle聴くようになった人間が好きそう」という感想が得られると思う。わからない。
 あとは、Serrini。中でも《油尖旺金毛玲》(2016年)は薄暗いネオンが似合いそうな、少し気だるげで切ない曲調と歌い方が印象的で、とても気に入った。

www.youtube.com 金毛の玲という少女が夜の街で恋をする話だと漠然と思っていたが、歌詞を読んでみると文語、白話、広東語の混じる「三及第」(他に近年の表現や横文字も入ってるので四及第だと思う)文体の歌詞は意外と難しくて、意味が全然取れていない部分もあった。全然自信はないけど、以下に歌詞の内容をメモするとともにそのストーリーをなんとなく解釈しておきたい*1

*1:詳しく歌詞の解釈を試みた記事は余り多くなかったが、記事を書いている途中で豆瓣音乐の「从《油尖旺金毛玲》到《尖沙咀Susie》(油尖旺金毛玲)乐评」に気付いた。これはかなり詳細で参考になる、というかこの記事の存在意義…笑

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外で酒を飲むと気持ちがいいこと

外で飲む酒は旨い。それだけの記事である。

 今月は当然ながら部屋にいてばかりであんまりレジャー的な催しが出来なかったのだけど、都下に行く機会が多く、なんだかんだ天気もよかったので、外で酒を飲んだ。
 そろそろ梅雨も近づいて来て、なかなかこういった気持ちの良いことができないので、偲ぶのも兼ねて以下に紹介、というか自慢する。

秋川渓谷 

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 多摩の山奥に行ったものである。魚を釣って食べようと言う話だが、こんな感じからも分かるように、揃いも揃ってインドアのオタクなので、手ぶらで行けて楽に釣れるものがいいよね、と言うことになり、鱒釣りと相成った。前も利用したことがある養殖マス釣り場だが、ここはいいですよ。

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川に適当に酒を投げ入れて、冷やす。見てるだけで涼しくなってくる風景だ。マスだが、釣り券を買うと生簀から川に投げ入れてくれ、本当に簡単に、バカスカ釣れる。衆楽園ヘラブナの方が全然難しいと思う。

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加山雄三と『蝿の王』: 三番瀬で豚を丸焼いたこと

未来の大戦中、ひょんなことから疎開地へ向かう飛行機が墜落し、若大将(演: 加山雄三)は南太平洋の無人島に置き去りにされてしまう。最初こそ協力し合っていた若大将たちであったが、青大将(演: 田中邦衛)は食べ物などにも不自由しない島で自由に生きることを望んで、独自に狩猟隊を結成する…

今週のお題は「お花見」 らしい。

ということで、というわけでは全く無いが、先日桜がいい感じだった時に桜の一本もない埋立地に行き、悪魔崇拝的な儀式に参加してきた話をする。標題からして桜感は皆無だろう。

豚や機材の搬入、及びその他の飲食物の買い出しを行うため、自分は主催者の暴力ちゃんTwitter: @okumuratorucc)から人足として徴用され、前日は飯場で他の作業員とともに食事をした。
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 飯場に火鍋底料があるというので火鍋をやることになった。新大久保の中華スーパーやまいばすけっとで食材を用意して(この羊肉は日光総本店で買ったが華僑服務社と比べてかなり割高だった、以降このような失敗の無いようにしたい)、いい感じに火鍋を楽しんでいたのだけれど、
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不注意なオタクばかりなのでこんなことになってしまった。オタクと居ると健常界では有り得ない超常現象が起こります。ともあれ、鉄分は摂れたし火鍋はとても美味しかった。家庭でする火鍋、本当におすすめですよ。

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ニュージーランドのチャイナタウン: NZ華人コミュニティの歴史と現在【後編】

はじめに

ご無沙汰しております。
桜も散り始め、そろそろ新年度を迎えようとしている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

前回前編↓をアップしてから結構経ってしまったのですが、後編もやっていきます。

mounungyeuk.hatenadiary.jp

 後編では、AucklandはDominion Road一帯に所在する新興のチャイナタウンについて、歴史や概要を、実地で撮影した写真を紹介しながら解説していきたい。

  • はじめに
  • Dominion Rd.の概要
  • Dominion Rd.の歴史
  • Dominion Rd.の人々
  • Dominion Rd.の飲食店
  • Dominion Rd. の文化施設
  • その他の店舗
  • おわりに

 このDominion Rd.のチャイナタウンに関しては、すでにCAIN, TrudieほかHalf Way House: the Dominion Road Ethnic Precinct, Auckland: Massey Univ. and Univ. of Waikato, 2011.において、店舗の分布のほか聞き取り調査によって出生地や消費行動なども詳細に明らかにされているので、適宜これを参照する。というか、これ読めば大体は理解できる。この記事のオリジナリティは写真の多さと日本語による紹介の2点に尽きるわけだ*1
 構成としては、まずDominion Rd.の位置関係や歴史を紹介し、続いて、どういう人々がどんな店をやっているかを写真を使いながら紹介していく。

*1:ただ、Cainらの調査では、China-bornはChinaで一括りになっているので、本記事の店舗紹介においてはより中国内部の地域的なバリエーションについても意識して紹介するよう努めた。

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