亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

韓国の“シュポ”で飲む、日本で②:Lee mart@福富町, 横浜

 日本で韓国版角打ち・シュポ飲み(食料品店で飲酒することです)ができる場所、まだまだあった!多分全国津々浦々のコリアンタウンには沢山埋もれているのだろうと思う。
 そもそもシュポって?という方は以前のこの記事と、冒頭のリンク先などをご参考ください。前回も書いたけど、だいたいが自分自身韓国経験は未成年の時の1回(ソウル)だけなので、自分も本当のシュポとは、本当のシュポ飲みとは、が全くわかっていない。全て雰囲気でやっているし、この記事も雰囲気でやっていきます。

mounungyeuk.hatenadiary.jp

③Lee mart(福富町, 横浜市中区)※コロナ禍以降、飲食スペース閉鎖中

 横浜の外国人街(?)といえば、圧倒的に山下の中華街が有名であるが、あそこはやはり老華僑(オールドカマー)の街。ニューカマーの華人や、朝鮮の人々は阪東橋であったり、ここ福富町あたりに店を構えていることが多いようだ。

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 ここ福富町は関内と野毛の間に位置していて、クラブやスナックビル、ソープランドなどが軒を連ねる、妖しげな雰囲気の街だ。ソープランドなどの施設は建物の更新が出来ないといった縛りもあるのだろうか、全体的に戦後〜昭和で時が止まったような古ぼけた建物に、艶やかなネオンや看板が光り輝く。

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皇都戲院大廈(1952年~)を見に行く。

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 「皇都戲院大廈」という建物が、香港島北岸東部、北角(ばっごっ, Northpoint)の街中にある。北角はその名の通り香港島最北端に位置している、開港後早期に発展した福建人(と潮州人)の街で、戦後には上海人も流入し、1950年代-60年代初頭を通じてナイトクラブ、ダンスホール、映画館などが立ち並ぶ娯楽産業の中心地「小上海」として発展してきた。
 この建物は1952年に璇宮戲院(Empire Theatre)として建設され、1959 年にはモール・住宅のビルを増築(皇都大廈)し、名を皇都戲院(State Theatre)と改めて営業してきた、現存する戦後映画館建築の中では最古のものの一つである*1。映画館は1997年に閉館し、以降は卓球場として使用されているらしい。G階部分は細い路地が張り巡らされており、商店が並んでい(た)。
 かつて民国上海からやってきた華やかな娯楽文化がこの地で花開いていたことを今に伝えるこの建築であるが、第1級歴史建築に認定されているものの、再開発か保存かを巡って去年以降大いに紛糾している。

*1:活現香港「活現香港對舊皇都戲院(前璇宮戲院)文物價值的評估報告」、2頁(2018年1月8日閲覧)。活現香港は香港の歴史文化、歴史建築の顕彰・保全を目的とする団体(企業?)。スタディツアー(要予約:Tours - 活現香港 Walk in Hong Kong)もやっている

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明報「【一地兩檢】張炳良籲政府解畫:如果人大話得就得,使乜講7年? (12:22)」

 新年最初の記事は語学の練習にしようと思って、ニュース記事を『中国報紙研究法』の様式に則ってやってみようというやつをやった。もちろん文例は新聞社に権利があるので、万が一勝手に和訳して怒られが生じたりしていたら消します。無いと思うけど。
元記事はこちら↓、巷で話題の一地両検/joint checkpointについてです。拼音(粵拼)はイェール式でやっていきますが、例外的な発音や表記ミスがあるかもしれない

news.mingpao.com

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入江啓四郎『支那新聞の讀み方—中國報紙研究法—』(タイムス出版社、1935年)

 「読書メーター」というものを、大学入ったあたりからやっている。読んだ本や読みたい本などを記録し、感想も書き留められる。読書ノートの代わりに使っていた。一ヶ月の読書量が、冊数・ページ数で出てくるのも、先月より多く読んでやろうという気持ちにさせられる。もっとも、感想はめんどくさくなって書いていないものも多いのだけど…
 この読書メーター、一時期はアドレスが完全にオーナーの名前になっていたり(理由は不明)、スマホ用アプリの仕様が数年間全く更新されないなど、最悪の使用感だった。とはいえ先月あたりにアプリは大幅アップデートがなされ、非常に使いやすくなったと思う。最近自分の周りのユーザーがほとんど更新しないので心配だが…(サービス終了すると読書記録が)

bookmeter.com

 さて、今年も終わりなので色々と今年読んだ本を見返しつつ、買ってよかった、読んでよかったものを見ている中で、取り上げておきたいものがあった。標題にある

入江啓四郎『支那新聞の讀み方—中國報紙研究法—』タイムス出版社、1935年

である。これは神保町の叢文閣で2,000円とかだった、昭和12(1937)年12月にこの本を購入したU田さんのサインも付いている。

支那新聞の読み方―中国報紙研究法 (1935年)

支那新聞の読み方―中国報紙研究法 (1935年)

 

  この本、意外と今でも使えるのではないかと思うし、レビューやっているブログ等も見当たらないので*1、本記事ではこの本の特徴を紹介をしながら色々考えていきたい。が、すでに年越しそばで日本酒1合くらい飲んでしまっているので本年中に書き上がるかはわからない。

*1:全く同じ年に清水元助、有馬健之助『支那新聞の讀み方—時文研究—』(外語学院出版部、1935年)というものがあり、こちらについては同様に神保町で発見した方のブログ記事があった。出版が近いので、もしかしたらどちらかは便乗本なのかもしれない。満洲事変が一応の決着を見、日華事変が勃発するまでの、日中交流が最後に盛り上がった時期にあって、同様の書籍は沢山出ていたことだろうし、また日華事変以降は一層需要が高まったことだろう。尚、有馬は1940年にも同様の『支那時文研究』なる本を出版している

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りんご飴、糖葫蘆、Candy Apple

おはようございます、いよいよ年の瀬といった感じ、年末イベントを沢山控えて皆さん如何お過ごしですか?自分は先週末から多分ノロ人(ひと)になってしまい、高熱と吐き気、胃のむかつきに苦しんだ。横浜を愛する普通の横浜人だけど、暫く家系ラーメンは控えようと思います……

 ところで、昨日たまたま糖葫蘆(糖葫芦/tánghúlu)という食べ物の話になった。糖葫蘆というのは中国の街中でよく見る、果物を串刺しにしたやつに水飴をかけて固めたおやつだ。串に刺されているフルーツは、最近だとイチゴとかマスカットとか色々あるけど一番の定番はやはり山楂(さんざし)である。

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 山楂はバラ科の果物で、甘酸っぱくてビタミンC多そうでおいしい。同じバラ科のスモモのような、リンゴのような、まあ山楂の味がする。おいしいと書いている以上自分ももちろん好物なんだけど、日本国内では中華街でも糖葫蘆を売っているのを見ないし、もしかしたら生の果実がそんなに出回っていないのかもしれない。
 日本で馴染みがありそうなものだと永昌源の山楂酒だろう*1。あと、個人的には果肉に砂糖や寒天混ぜて乾燥させた山楂條という乾き物(といってもネットリしてるけど)がおすすめ、お茶請けに良い。これは中国物産店で本当に安価に購入できる……

*1:永昌源といえば、満洲樺太で酒造業を営んでいた引揚者が立ち上げた会社である。戦後日本における中国酒の普及に「満洲」が絡んでいたのだ

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日原古道に行った(その4・終:樽沢を経て日原へ)

(前回まで:その1, その2, その3

最高ポイントで休憩した後、先へ進む。
「古道」は日原村手前で渓谷を渡るため、この地点を境に次第に下ってゆき、渓流に近づいていく。

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 ここが道中でもっとも高く日当たりがよい場所なのだが、同時に風化も相当強いようで、石灰の露頭っぽい岩肌がモロモロしていて非常に頼りない。崩壊の防止に人為的に植えられているものかわからないが、斜面には似たような感じの灌木がそれなりにまとまって生えていた。これが地味に安心感を与えてくれる。
 この箇所、対岸から見ると白い岩肌に張り付くようにして長大な石垣が組まれているのだが、現地では白っぽい砂利が積もっているわずかな幅の平場があるだけで、渡りきるまでその全貌を確認することはできなかった(そしてまともな写真を撮るのを忘れていた)。というか、これ多分日原側から渡るとなまじっか全貌が把握できてしまうので、恐怖で進めなくなると思う。高さと傾斜が異常なんだよな…

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日原古道に行った(その3:廃吊橋〜最高地点)

(前回まで:その1その2

採掘場向かいの広場から先を進む。
ここから先は地図でも実線が失われるので無理はせず、行けるとこまで行こうという感じになった。

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 道の傍らに早速物々しい坑口が口を開けていた。この山、石灰採掘で穴だらけなんだろうな、対岸の発破とか地震とかあったら怖いですね。
 とはいえ先ほど眺めた奇観の余韻もあって、そんな感じで脇見をしつつのんびり楽しみながら歩いていたのだ。その後に訪れる恐怖も知らずに……

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