亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

元朗でぼんやりすること

元朗という街が香港の北西部にある。港島・九龍からは山で阻まれた地にあり、2003年に西鐵が開通するまでは港島・九龍への交通をバス路線に依存していた街。元朗から屯門にかけてはニュータウン開発に併せ輕鐵(ライトレール)が敷設され、香港のいずれの場所とも異なる独立した交通網と独特の都市景観が生じている。

元朗屏山

非常に遠く(香港人の感覚では、だが)、辺鄙な所という印象もある一方で、深圳湾を挟み広東省に面している立地で、かつ香港には珍しく肥沃な平野が広がっていたことから、明朝以来の入植ではその最初期に開発が始まった場所であり、定期市の設置とともに商業地としても発展を遂げた、香港随一の「古都」でもある。市場を支配していたのは新界五大氏族のひとつ鄧一族で、屏山の鄧氏は團練(私兵団)を組織してイギリスの新界接収に抵抗した。結局、イギリス統治下でも彼ら有力氏族の権勢は温存され、今でも一帯には彼らの所有する絢爛豪華な祠堂や家塾といった文物が残されている*1

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中心市街を歩くと近年問題になっている水貨客目当てのドラッグストアや貴金属店の侵攻もそこまで目立たず、地域密着型の飲食店が多くあり、遊歩道に机や椅子が出されてみんなで路上を楽しむのんびりとした空気が流れている*2。この独特の景観からは「民国でも人民共和国でもない、もう一つの大陸都市のあったかもしれない姿」という感じがする。個人的に香港でも好きな街の一つだ。「香港らしさ」のステレオタイプからは大きく外れた街かと思う。

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西鐵の駅の北側には旧墟(定期市の跡)とそれを取り囲むように原居民の村落が点在している湿地帯が広がる。元朗の村々を通り抜けつつ10分ほど歩くと簡素極まる碼頭があり、香港唯一の手漕ぎの渡し船が元朗の市街地と湿地帯の島の中にある南生圍なる村とを結んでいる。たった1分の船旅だが、のどかで非常にリラックスできる。

乗客も船頭のオッサンもタバコを吸っている。恐らく香港で唯一の喫煙可能な公共交通機関でもあろう。片道1分に7ドルかかるが、この渡船がなければ南生圍までかかる唯一の自動車用の橋を使うことになり、ひどく遠回りになってしまう。元朗市街地から最短距離で村までを結ぶルート上のこの渡船は、間違いなく生活上必須のものだ。

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行った先には耕作放棄地と廃村、そして沼に浮かぶ鄙びた士多(ストア)。士多の多くは週末だけ開いていて、飲み物や軽食を提供している。

水上テラス席で10ドルの豆腐花を食べながらぼんやりする。時間が止まったかのような沼地の向こうには残された廃村と、ニュータウンのコピペのような住宅群。反対を向けば、茫々たる沼地の遠くに燦然と光り輝く深圳の高層ビル群が望める。余りにもアンバランスな風景は、けっして自然な成り行きでそうなったものではなくて、割譲地と租借地、移民と原居民、一国二制度と改革開放という様々な制度のレイヤーが重なりあって形作られた「歪み」であって、この歪みこそが香港という都市を魅力的でユニークなものにしている。元朗という、平たくて広々とした「香港らしくない」街の外れにあって、寧ろこの風景こそが香港らしさだよなあ、と思った。

六四30周年にはじまり、七一に至るまで(まだ続いているが)の政治の季節を経験している香港。だからこそ、こういう所でのんびりすることも必要だと思う。新界は最高。

*1:https://www.amo.gov.hk/b5/trails_pingshan.php

*2:なんと元朗には街の中心に半屋外の熟食市場が3箇所も存在している。参照:食物環境衛生署,元朗區街市/熟食市場

雨傘、魚蛋に続く、まだ名前の付いていない運動のこと

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逃犯條例の修訂をめぐって、9日のデモから12日の警察との衝突によって、香港は5年ぶりに世界の耳目を集めている。

自分は現状香港に長く居るわけでもないし、香港の現代政治について殊更関心がある訳でもない、一介の局外者に過ぎない。12日当日も自分は広州でものを食べたり城中村を見に行ったりしていて、(リアルタイムの報道は見ていたものの)衝突の現場にいた訳ではない*1

香港についても、自分はあくまで部外者として、過度に思い入れないように努めてきたつもりだ。でも、香港の人達の自治・自由・民主を求めるたたかいは尊いものだと思うし、支持し連帯すべきだと思ってはいる。700万人規模の巨大な“母校”を見ている気になる(このように思う時点で既に思い入れてるのだろう)。だから気を付けないと冷静に物を見られなくなりそうで、怖い。

この数日、重度の低頭族である自分は報道やTwitterをずっと眺めていたのだけど、「香港には興味がない」と言いながらも敢えて大陸支持を明言して運動を嘲笑する人、反中というだけで加油加油と叫ぶネトウヨにはウンザリさせられた。一方で運動を支持する香港の人達も、話を盛ったり出所不明の情報に飛び付いていたりして*2、これも……人は見たいものしか見えないということだろうと思うし、自分は多分深層心理の何処かでそういう人を見てウンザリしたいのだろうと思う。

当事者たる香港の人達がカッとなって話を盛ったり謠言に飛び付いたりするのは仕方がないと思うけど(なんでも起こり得る状況なので)、我々は応援こそすれ冷静に情報を集め、動静を見守ることが必要ではないか。そしてそれが一番香港への支援になるのでは…と思う。

「悲壮なたたかい」なる感動ポルノや安易な反中ポルノに仕立ててシコったり「葬式鉄」をやるのをやめろ。そういう人ほど香港が「終わった」ら他のオカズに飛んでいって、香港の事などすっかり忘れてしまうだろう。でも、この条例がどうなろうと香港もあり香港人もいて、かれらの生活やたたかいは続くのだ。

*1:9日夜の時点で、政府總部前の道路を塞ごうとして警官に制止され、言い合いになってる場面に遭遇していた。この時点で胡椒スプレーは既に使用されていたので、12日にはより過激な衝突が起こり得ることは予想された

*2:自分はデマから透けて見える香港の人達の大陸蔑視や、北京が主張する「外国勢力の介入」の鏡写しみたいな発想が物凄く苦手です

汕頭の旧市街に行ったこと(陶芳酒楼, 万安街)

汕頭に行った。嶺東とも呼ばれる広東省東部の潮汕地区は閩南語系の潮州話の世界で、広東語は殆ど聞かれない。バスの音声案内も普通話と潮州話だった。

汕頭は1860年に潮州に代わり開港場となった地で、ここからタイを中心に南洋へ多くの華僑を送出した僑郷でもある。自分の祖父母世代だと汕頭といえば刺繍入りの白いハンカチだと思うが、輸出産業であったためか市内で販売されているのを全く見なかった。あるいは、すでに廃れてしまったのかもしれない。地元の大学生に汕頭の伝統工芸品についてのアンケートを頼まれたが、その中にも「番花」(抽紗)の項目は存在しなかった。

旧市街には小公園と呼ばれる円形広場を中心に特徴的な騎樓の街並みが残るが… 

汕頭

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メインストリートの大部分は観光地としての整備の真っただ中にあり、死んだ状態だった。整備が済んだ箇所(小公園周辺)も観光客向けの商店がチラホラ開いているだけで、活気がまるでない…

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大規模に街を破壊し、元あった店子を追い出して行われる整備事業にはあんまり感心しない。勿論、まともな修繕を施されてこなかった旧建築の多くに倒壊の危険が有り、住人もよりよい生活環境を望んでいるのだろうということは理解できるが…*1上の画像左側に残されているのは汕頭僑批業(華僑からの送金・郵便の取次業)同業公会の跡地だ*2

汕頭

一方、メインストリートから路地に入ると、

汕頭

まだまだ沢山の旧建築を目にすることができるが、その多くは既に無人となっているか、危険建築として立ち退きの対象になっている。これらの建物の多くでは内部の床、天井、梁は木造であって、雨が多く高温多湿な環境下ではメンテナンスがされないと直ぐに朽ち果ててしまうのだろう、外側のみを残して崩壊しきったものも多く見られた。

汕頭

そんな中で気を吐いていたのが万安街の陶芳酒楼だった。往時は汕頭の四大酒楼の一つとして名を馳せたホテル・レストラン・娯楽の総合施設で、ここは魚翅(フカヒレ)料理が有名だった*3。門柱には文革期のスローガンが残る。曲がり角を囲むようにしてL字状に建てられていて、上の写真の2つの門はどちらも酒楼の入り口になっている。向かって左の入り口から中にお邪魔した。

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ここには民国期に国民政府によって花会(妓女の管理組織)が置かれ*4、解放後は学校、旅館、市政府の事務所を経て現在は集合住宅になっている。なんとも多彩な使われ方をしたものだと思う。それだけこの建物が立派で丈夫な作りをしているということだろう。

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階段からして華やかで、かつ木造ではない。登るのに安心感がある。

汕頭

めちゃくちゃ暗いが、欄間(って言わないよな、何)の装飾やステンドグラスが美しい。

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そして何より、中央に現れた木造階段の存在感よ…あまりに暗いのと美しさとで、階段に猫が鎮座ましましていたことに写真見返すまで全く気づかなかった。

汕頭

破れた屋根から入る外の光が綺麗だ…とはいえ、この状態は建物にとって相当にまずいとは思う。

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隣の棟に移った。こちらは窓と吹き抜けによって廊下部分も明るい。装飾の華麗さは先ほどには及ばないが、ホテルだったときの様子がよく分かる。各部屋には(現在は)シャワー設備が存在しないようで、廊下に増設されてあった*5

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美しいが痛みや汚れの痛々しい吹き抜け。このまま手酷い修復を受けずに残っていて欲しいとも思う一方で、これ以上放置され続けても建物が不可逆に損なわれてしまうのではないか、とも思った。ホテルとして泊まってみたさもある…笑



*1:数年前に始まったらしいこの整備だが、自分としては急速で乱暴な印象を受けるものの、遅々として進まないことに不満を抱いている住民が少なくないことに驚かされた

*2:鄭緒栄、張如強編『汕頭:老城記憶』汕頭大学出版社、2018年、26頁。

*3:前掲書、181頁。

*4:民国期、妓女を登記・管理する制度が完成していたらしい。勿論、これが隅々まで貫徹されていたとは思わないが。参照:民国時代の中日妓女の許可申請書_中国網_日本語

*5:何人か住民の方とお会いしたので写真を撮っている旨お伝えした。特に問題は生じなかった

台湾の冰果室のこと

先日から在華坊さんのエントリが非常に盛り上がっていて、自分も感じ入る所が多く、興味のある話題なのでウォッチしております…

zaikabou.hatenablog.com

zaikabou.hatenablog.com

思えば「何故中国に人が行かないのか」という問題は長年クラスタを苦しめる難問と化している(中国旅行好きな人しか居ないので苦手な人の気持ちが分からないから)感じですが、自分の考えでは言葉が分からない状態で行くと交通工具が不便でストレスフルなの(毎度毎度の安全检查、售票处の行列、タクシーも滴滴の隆盛で余所者は一層不便に)がデカいと思う。先日台湾行って大陸経由で香港戻って来たのだけど、毎度のことながら大陸は全てにおいて移動がままならないので台湾と同じつもりで回ろうとすると時間配分が崩壊し、大変しんどかった。というか台湾がヌル過ぎ、最高なんだなあ*1

でも、ストレスフルな移動にしろインターネットの問題にしろ、在華坊さんが仰られているように一回は現地に行ってみないと感じられない不便さだよなぁ、とも思う*2。多分外国人観光客も「成田って東京からメチャクチャ遠いやんけ」とか来てから思ってますよね、きっと……結局はイメージ、これに尽きると思います(だからここで「突然拘束されるかもしれないリスク」とか「大気汚染が深刻だから」などを挙げる人の方が余程「説得力」がある)。行かない人がそこまで考えて敬遠してる訳ないのでは、と…

マイナスなイメージが既にある状況下では中々旅行系の情報も紹介され辛いし、そうすると「中国では~~を見て、~~を食べて、~~を買って、~~に泊まって」みたいな「中国旅行」の定番みたいなパッケージが中々出来ていかないから(ここには移動の不便さもかなり影響を与えてると思う)、「よく分からんけどこことこことこことか抑えれば楽しめそうだ、行ってみよ」とならないのではないか。まあ、中国メチャ広なのでこうしたパッケージ化が相当難しい国だとは思う…

あと、これは経験も混ざった印象だけど、大陸って香港台湾に比べると「コミュニケーションを躊躇うと只管ババを引くことになりやすい」気がするんですよね。で、そこにエネルギー使わないといけない。それが好きな人には堪らないけど、苦手な人はとことん苦手な旅行先ですね、大陸…

ところで話は変わるが、大陸と台湾の違いのもう一つが刨冰、つまりかき氷の有無だろう(いや、大陸にももう沢山台湾式スイーツ店あるけどさ)。華人(特に女性)は冷たい食べ物は身体を冷やすという理由で極度に嫌う人が相当居るけど、台湾はこれを売る店が沢山ある。中華圏の中でここまで吃冰するのは多分台湾人だけだろう。何故みんな大陸に行かずに台湾に行くのか。それはこの刨冰があるからですね。みんな八寶冰食いたいし、紅茶冰で喉潤したいもんな。刨冰はヤバい。なぜこれが日本や香港にないのか。本当に悲しくなる。

というわけで、今切実にアパートの一階に出来て欲しい冰果室を一挙に紹介したい。はよ来いマジで。

*1:もっとも、台湾は都市部も地下鉄網が全く無いので結局バスを使いこなせないとそこそこしんどくない?とは思う。台中は市内のバスに悠遊卡で乗ると10km以内なら無料。すごい

*2:大体そこまで熱心に海外旅行行かない人は、通信は現地のwi-fiのみとか、現地でsim買うとかじゃなくて、日本でwi-fiルーターレンタルしたり、日本のキャリアの国際ローミング使うのが普通では

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台湾で只管食っていたこと

先日1週間ほど台湾に滞在する機会があった。
偶々日本のゴールデンウィークと被っていたので台北や台南では日本人がめちゃくちゃおり、外国にいる感じが全くしなかったが…(そういえば、滞在期間中に日本は改元していた。自分はまだ令和の日本の土を踏んでいないので、このまま清朝の遺臣みたいに平成を使い続けてもいいかな、と思ったりする)

台湾は本当になんでも旨かった。用事と観光以外は延々食っていたと思う。なんでも美味いし物価も安いし、自分が今いる特別行政区ホンマ何なん……という気持ちになってしまった。最近更新が滞っているので、とりあえず旨かったもの(の一部)をまとめて紹介する。台湾ニュービーなので、基本的には有名店ばかりですが…偶々立ち寄ったもの以外は全て、foursquareに頼りました。自分は行った場所行きたい場所の管理を全て4sqで行なっているので、サービス終了とかにならないで欲しいですね、お願いします……

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香港の街中で落書きを鑑賞すること。

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 香港の風景には文字が溢れている。

 「香港」と聞いて多くの人がイメージするような、空間を覆い尽くす看板は勿論(実際には、こうしたネオン看板はどんどん減っていっているのだけど)、広告、ポスター、空白は無駄であると言わんばかりに、あらゆる隙間に偏執的に文字と情報が詰め込まれているのがこの街の風景を特徴付けていると思う。香港の人々が持つ、空間有効活用への執着は、こうした文字に限らず大牌檔であったり、劏房であったり、あるいは日本の首都圏並みに狭いパーソナルスペースなど、至る所に見出すことができる。過剰な人口密度が生み出した性向だろう。

 こうした目がチカチカするような文字情報の洪水は看板やポスターのような合法的なものだけでなく、勝手に貼られたビラや落書きによっても支えられている。政府の注意書きも虚しく、あらゆるところにビラやスプレー、サインペンによって、ボイラー、下水、ソファーの修理といった広告が試みられているのだ。あと、電波を受信してしまった人の怪文書や金銭・痴情の縺れからの晒し上げなど、ヤバいものも結構あるけど、それは流石にアップ出来ません……

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この情熱を見よ。

 殆どの非合法な掲示物・落書きはこうした広告だが、中には経済的な動機によらない落書きも見つけることができる。それが世相批判・政治風刺のためにされるもの…落書(らくしょ)だ。

 古来より落書きによる世相批判や政治風刺は広く行われており、日本の二条河原の落書など、歴史に名をとどめている「作品」も多く存在している。

 中国においても農民反乱の際に「掲帖」と呼ばれる檄文が壁などに掲示された。文革のきっかけを作った「大字報」もこの流れを汲むとされ、大鸣、大放、大字报、大辩论の四大として、自由な言論活動を保証するものとして位置づけられ、憲法にも採用された。これは「自由な」言論活動が中央のコントロールを外れ、やがて不要視されるようになる「北京の春」まで続けられる、らしい。これはあまり関係ないけれど。

 香港に見られるこうした落書き、Tiwtterと変わらないような排泄物じみた呟きも勿論多いけど、わざわざ道具を用意して人目を憚って書かなければならないハードルの高さからか、中にはちゃんと練られた文章であったり、異常なる熱量をもって認められたものも存在する*1

 勿論こうした落書きは軽犯罪に属するものだし、決して褒められたものでもないけれど、昨今の様々な事例を目にするにつけ、単に落書きもないクリーンな、秩序だった風景がいいものである、とは自分には思えなくなった。

  例えばこの落書きの出現と消滅を巡る一連の物議など。

 何かあれば直ぐに晒され、炎上し、更には「けんま」までされてしまうインターネットに対して、街中の壁、便所のドア、そういったものこそ真に匿名な原初のSNSではないか。そして、景観を汚し、秩序を乱すこのような落書こそ、ある意味では香港の言論の自由を象徴しているのではないか、と思った*2。そしてそういうものを集めようと思ってアカウントを開設したわけだ。

twitter.com

それがこいつです。見つけた地点、撮影日、原文と必要なら解説を加えたもの。読み、解説内容に誤りがあったり、何か見つけましたら僕までお教えくださると幸いです。以上宣伝でした。

(追記)

今更だが最近になってドンピシャの香港のグラフィティや政治落書きを扱う書籍の存在を知った。

張讚國、高從霖『塗鴉香港—公共空間、政治與全球化 [第二版]』2016

 

*1:有名なものだと「九龍皇帝」の宸翰などが挙げられよう

*2:戦時下の特高便所の落書きを記録・報告していたから、もしかしたらそういった方面ではバッチリ記録付けられてるのかもしれないけどね

衛奕信徑第9段の眺めが最高だった(香港の山がすごかった②)

更新が延び延びになってしまっているが、忘れないうちにメモっておかなければならない。大埔という街は入江の一番奥まったところにあって、その両側には美しい山々が並んでいる。

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今回は馬料水側からみると屏風のように並んでいるこいつ、屏風山〜皇嶺~八仙嶺の尾根筋を歩いてみたいと思います。 

衛奕信徑第8段~九龍坑山~衛奕信徑第9段(前半)~鶴藪水塘

 第8段は中盤で大埔市街地を横断するため、自分としてはアクセスが容易だ。ofoを駆って、一気に九龍坑山の麓、大埔頭村までたどり着く。ここにある公衆トイレが水塘までの最後のトイレなので、必ず行っておいた方が良い。

衛奕信徑第8段

 トレイルが再び登山道になったところで、尾根筋には鄧家の墓所が現れ始める。大埔頭村の鄧家は新界五大氏族の一つ、錦田の鄧氏の一支族で、村内には立派な祠堂兼家塾が残されている。一族は尾根に沿って南面し、村を見下ろす日当たりのいい土地に墓所を構えている。きっと風水もいいのだと思う。

 政府が公園地として整備をしようと、原居民達が以前から持っていた墓所については中々移転させることは難しい。他のトレイルや公園でも、こうした墓所は頻繁に見かける。イギリスがやってくる以前から新界に入植していた原居民の土地を中心とした諸々の権利は返還後も守られており、新界の開発に当たっては屡々政府と対立している。 

衛奕信徑第8段

 大分奥まったところにいきなり戸建ての高級分譲住宅地が現れる。ここ康樂園は蒋介石との対立の末下野した粵系軍人の「河南王」李福林が晩年を過ごした広大な果樹園の跡地で、近隣の公共施設には李の名前が冠されたものもある。

衛奕信徑第8段

あまり伝わらないと思うが、結構な傾斜だ。このルートは急峻な尾根を直登させる部分が多く、結構しんどい。笑

衛奕信徑第8段

登り終える。この山頂には玉秀峰という愛称が付いているらしい。山頂には三角点とベンチがあり、しばし休んだ後に九龍坑山の山頂を目指して行く。

衛奕信徑第8段

恐らく第8段の一番の目玉であろう景観が現れた。かなり急なコンクリ階段が張り付いている。山頂は写真右奥に見えるアンテナの直下なので、階段を登ってからは然程のアップダウンもなく、日差しと風を浴びながらのんびり進める。

衛奕信徑第8段

衛奕信徑第8段

着いた!九龍坑山の山頂はトレイルからやや外れているのだが、合流先からの道を間違えてしまったりして30分ほど時間をロスしてしまった。

衛奕信徑第8段

九龍坑山山頂の前で衛奕信徑の第8段は終わり、ここからは第9段。電波の入りも悪い山奥から高層ビル立ち並ぶ深圳の市街地を望む。この距離にこの風景、かなりアンバランスな感じがする。

衛奕信徑第8段

水塘には着いたが、すでに16時。そこから先の屏風山への直登の厳しさや日没までのタイムリミットを考えて、今回はここを中間セーブ地点として終了。ダムから鶴藪村へ下り、ミニバスで粉嶺まで帰った。

沙螺洞~鶴藪水塘~衛奕信徑第9段(後半)

第9段の中間セーブ地点とした鶴藪水塘から再開するため、まずは前回と違うルートで水塘を目指す。ofoで川を遡り、鳳園から山に入っていく。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

原居民の墓が並ぶ丘を越えていくと少し開けた土地が現れ…

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

デベロッパー(沙螺洞發展有限公司)の地上げに反対する村民の垂れ幕が延々並んでいるのが見えてきた。所々独立派による落書きもされている。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

そして突然眼下に廃?村が。そう、この沙螺洞なる盆地は、古くから人が入って耕作をしていた所。80年代からゴルフ場建設と宅地開発を狙うデベロッパー、反対派の村民、貴重な湿地があることからゴルフ場も村民の農地もまとめて排除したい政府との三つ巴の争いが続いてきた場所であるらしい*1。今年に入って漸く決着がつき、デベロッパーは政府と土地交換をし、村の土地は政府所有となったそうだ*2。これまでは村民が植えた菜の花が観光名所にもなっていたようだが、湿地保護の観点からこれが問題となり、来年からは姿を消すという。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

ここは張屋という字であり、名前の通り張氏の単姓村。地上げを拒んで唯一住み続けていた村民が経営する休憩所と廟だけに人の気配があり、多くの建物は廃墟と化し、デベロッパーによる「公司物業」との文字が残されている。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

廃屋を通り抜けて村の裏側に出た。ここが菜の花畑だった場所らしい。背後に見えるのが今日の目標である屏風山から八仙嶺へと至る山並み。たしかに、ここに菜の花が咲いていたら美しいことだろう。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

村を出て、かつては田畑が広がっていたんだろうなあ、と思しき道を進む。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

森に入ると傷みの激しい石畳の道が現れた。そう、ここは鳳馬古道といって、大埔側から鳳園、沙螺洞を抜けて鶴藪へと下り、沙頭角や粉嶺方面の村や市集とを接続する道だったらしい。そのため比較的アップダウンも少なく、道幅は狭いながらも快適なルートを選んで道が作ってある印象を受ける。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

すぐそばには清浄な水が流れていて、歩いていて気持ちいい道だ。そうこうしているうちにofoを降りてから1時間ほど、すぐに鶴藪水塘に着いてしまった。

衛奕信徑第9段

というわけで、衛奕信徑第9段再開。トレイルは水塘から一気に屏風山の頂へと辿り着こうとするので、強烈な上り坂が続く。息を切らしながら登っているとすぐに森が消え、頼りない灌木と脆そうな岩肌が露出した山体が眼前に広がった。この山の頂まで行けばさぞかし気持ちいい眺めなのだろう、そう思って進んでいく。

衛奕信徑第9段

今日も深圳がよく見える。

衛奕信徑第9段

大分登ってきた。

衛奕信徑第9段

山頂付近の谷間に辿り着いた。標高500m台とは思えない光景に驚く。

衛奕信徑第9段

石灰質の岩肌に草木が張り付いている。谷の底には細い川があり、透明度の高い水が流れていた。湧いているのか、雨水なのかは分からない。

衛奕信徑第9段

川の水で汗を流してから、別世界のような風景を進む。道は地面が露出しているので浸食がものすごく、以前の舗装はほぼ全滅している。

衛奕信徑第9段

ここで尾根筋を辿るため、大きく南東へとカーブする。きた道を振り返ると、幾重にも連なる山々の両側に、深圳の新市街と沙頭角の街が見えて圧巻。市街から2時間でこの眺め、最高すぎる。あとは延々この尾根筋に沿って進むだけ。日没との戦いだ。

衛奕信徑第9段

衛奕信徑第9段

振り返ると深圳。尾根は本当に屏風のような断崖絶壁で、それなりに気をつけて歩く必要がある。トレイル本体はたまに尾根筋を外れてピークを巻くことがあるが、そのまま尾根を突っ切る非公式なルートも作られている。

衛奕信徑第9段

衛奕信徑第9段

 黃嶺(639m)到着。蝶や蜻蛉、それを捕食する燕が飛び交っている。

衛奕信徑第9段

南に目を向けると船灣淡水湖や馬鞍山、西貢の山や島々が見える。

衛奕信徑第9段

 

山頂でのんびりしているうちに大分日が傾いてきた。この尾根が切れるところまででないと人里に降りることができない。急がなければ…

衛奕信徑第9段

最高峰の黃嶺を越えると「八仙嶺」。8つのピークをアップダウンしながら、次第に標高は下がっていく。

衛奕信徑第9段

八仙嶺の最後、仙姑峰を目前にしてタイムリミットが訪れてしまった。綺麗すぎる夕陽に目を奪われている場合ではない。森林が回復してくる下りの道の方が光が必要なのに…

衛奕信徑第9段

仙姑峰から一気に下り、八仙嶺自然教育徑との分岐点に到着。ここで衛奕信徑第9段は終了。10段は次回に回し、自然教育徑を通って(ここも山奥の村々を通って沙頭角の市に抜ける古道らしい)ダム湖の入り口まで出られた。バスに乗って帰宅。

衛奕信徑第9段

ダム湖を眺められるあたりはまだ空の色も明るかったが、森の中に入る頃にはほぼ光がなく、いろいろな動物の鳴き声がして非常に不安だった。ライト持ってきていてよかった。