亞的呼聲 Adiffusion

中華と酒と銭湯と

台湾で只管食っていたこと

先日1週間ほど台湾に滞在する機会があった。
偶々日本のゴールデンウィークと被っていたので台北や台南では日本人がめちゃくちゃおり、外国にいる感じが全くしなかったが…(そういえば、滞在期間中に日本は改元していた。自分はまだ令和の日本の土を踏んでいないので、このまま清朝の遺臣みたいに平成を使い続けてもいいかな、と思ったりする)

台湾は本当になんでも旨かった。用事と観光以外は延々食っていたと思う。なんでも美味いし物価も安いし、自分が今いる特別行政区ホンマ何なん……という気持ちになってしまった。最近更新が滞っているので、とりあえず旨かったもの(の一部)をまとめて紹介する。台湾ニュービーなので、基本的には有名店ばかりですが…偶々立ち寄ったもの以外は全て、foursquareに頼りました。自分は行った場所行きたい場所の管理を全て4sqで行なっているので、サービス終了とかにならないで欲しいですね、お願いします……

①肉圓(阿菊肉圓,埔里)

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肉圓、中に豚肉と筍の餡を詰めたデンプンを蒸し上げ、色んなソースや薬味を掛けて食う。ソースをかけまくるのがなんだか小食店の腸粉にも似ている。餡や生地、ソースには様々なバリエーションがある。個人的には初めて食べたこの店のものが個人的には一番美味かった。この店では途中でスープをかけて味変を楽しむこともできる。40元。

②肉燥飯(柳家肉燥飯專賣店,新竹)

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写真正面に写っているのは控肉飯(肉燥がそぼろで、控肉が塊だ)。肉燥飯/控肉飯をメインに据え、新竹名物の貢丸(弾力のある豚肉団子)や滷豆腐など、副菜も充実。ジャンキーでうまい…3品選んでも100元ちょっとだ。

③煙燻鴨肉(許二姊,新竹)

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新竹には鴨肉の専門店がたくさんあった。カウンター上に並ぶアヒルの各部位を自由に選んで、自分だけの拼盤を作ってビールをがぶ飲みする。今回は燻製の鴨肉、腸、脚、卵の鹵水を選んだ。滷水鴨は香港でも潮州料理店にはよく見かける品だけど、黄金色に燻製されたアヒル肉の香りと旨味は本当に素晴らしかった。切実に近所に欲しい。

④蛋餅(明倫蛋餅,台中)

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蛋餅は朝飯にも食べられるスナックだ。ジャンル的には大陸の煎饼とか、葱油饼の一群に属するものだろう。この店は具はネギだけでシンプルだが、焼き上がりのQ勁(モチモチで弾力ある)とした食感の生地と、甘辛いソースがよく合っていた。

⑤牛肉湯(阿村牛肉湯,台南)

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台南名物の牛肉湯。台南は善化と鹽水の2箇所に牛墟(牛市場)がある関係で(?)牛肉の鮮度がいいらしく、この店の場合スープに生肉をくぐらせ、ピンク色の状態で供される。 このままでも十分美味いが、牛肉は生姜の載せられた甘いタレをつけてもよい。というか、台湾人本当に甘い味付けが好きですね…

虱目魚粥(阿憨鹹粥,台南)

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虱目魚(サバヒー)は汽水域に住む魚で、台南の特産らしい。以前横浜のとある台湾居酒屋で食べてから、一度は本場で食べてみたいと思っていた。プリプリの身は淡白だが甘みがあって上品な印象だ。これを朝に食べられる人たちが本当に羨ましい。粥には白米の粒が残っていて、潮州より北のお粥って感じだ。

⑦克路斯達明蝦(波麗路本店,台北

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台湾の「洋食」を食べてみたかったので行ってみたボレロで注文。所謂「棺材板」(棺桶トースト)だ。サクサクのパンの中には懐かしい感じのエビグラタンが詰まっており、非常にワクワクするメニューだった。見た目以上に食べ応えがあるので、頼みすぎには注意…(腹がはち切れてしまった)

香港の街中で落書きを鑑賞すること。

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 香港の風景には文字が溢れている。

 「香港」と聞いて多くの人がイメージするような、空間を覆い尽くす看板は勿論(実際には、こうしたネオン看板はどんどん減っていっているのだけど)、広告、ポスター、空白は無駄であると言わんばかりに、あらゆる隙間に偏執的に文字と情報が詰め込まれているのがこの街の風景を特徴付けていると思う。香港の人々が持つ、空間有効活用への執着は、こうした文字に限らず大牌檔であったり、劏房であったり、あるいは日本の首都圏並みに狭いパーソナルスペースなど、至る所に見出すことができる。過剰な人口密度が生み出した性向だろう。

 こうした目がチカチカするような文字情報の洪水は看板やポスターのような合法的なものだけでなく、勝手に貼られたビラや落書きによっても支えられている。政府の注意書きも虚しく、あらゆるところにビラやスプレー、サインペンによって、ボイラー、下水、ソファーの修理といった広告が試みられているのだ。あと、電波を受信してしまった人の怪文書や金銭・痴情の縺れからの晒し上げなど、ヤバいものも結構あるけど、それは流石にアップ出来ません……

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この情熱を見よ。

 殆どの非合法な掲示物・落書きはこうした広告だが、中には経済的な動機によらない落書きも見つけることができる。それが世相批判・政治風刺のためにされるもの…落書(らくしょ)だ。

 古来より落書きによる世相批判や政治風刺は広く行われており、日本の二条河原の落書など、歴史に名をとどめている「作品」も多く存在している。

 中国においても農民反乱の際に「掲帖」と呼ばれる檄文が壁などに掲示された。文革のきっかけを作った「大字報」もこの流れを汲むとされ、大鸣、大放、大字报、大辩论の四大として、自由な言論活動を保証するものとして位置づけられ、憲法にも採用された。これは「自由な」言論活動が中央のコントロールを外れ、やがて不要視されるようになる「北京の春」まで続けられる、らしい。これはあまり関係ないけれど。

 香港に見られるこうした落書き、Tiwtterと変わらないような排泄物じみた呟きも勿論多いけど、わざわざ道具を用意して人目を憚って書かなければならないハードルの高さからか、中にはちゃんと練られた文章であったり、異常なる熱量をもって認められたものも存在する*1

 勿論こうした落書きは軽犯罪に属するものだし、決して褒められたものでもないけれど、昨今の様々な事例を目にするにつけ、単に落書きもないクリーンな、秩序だった風景がいいものである、とは自分には思えなくなった。

  例えばこの落書きの出現と消滅を巡る一連の物議など。

 何かあれば直ぐに晒され、炎上し、更には「けんま」までされてしまうインターネットに対して、街中の壁、便所のドア、そういったものこそ真に匿名な原初のSNSではないか。そして、景観を汚し、秩序を乱すこのような落書こそ、ある意味では香港の言論の自由を象徴しているのではないか、と思った*2。そしてそういうものを集めようと思ってアカウントを開設したわけだ。

twitter.com

それがこいつです。見つけた地点、撮影日、原文と必要なら解説を加えたもの。読み、解説内容に誤りがあったり、何か見つけましたら僕までお教えくださると幸いです。以上宣伝でした。

(追記)

今更だが最近になってドンピシャの香港のグラフィティや政治落書きを扱う書籍の存在を知った。

張讚國、高從霖『塗鴉香港—公共空間、政治與全球化 [第二版]』2016

 

*1:有名なものだと「九龍皇帝」の宸翰などが挙げられよう

*2:戦時下の特高便所の落書きを記録・報告していたから、もしかしたらそういった方面ではバッチリ記録付けられてるのかもしれないけどね

衛奕信徑第9段の眺めが最高だった(香港の山がすごかった②)

更新が延び延びになってしまっているが、忘れないうちにメモっておかなければならない。大埔という街は入江の一番奥まったところにあって、その両側には美しい山々が並んでいる。

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今回は馬料水側からみると屏風のように並んでいるこいつ、屏風山〜皇嶺~八仙嶺の尾根筋を歩いてみたいと思います。 

衛奕信徑第8段~九龍坑山~衛奕信徑第9段(前半)~鶴藪水塘

 第8段は中盤で大埔市街地を横断するため、自分としてはアクセスが容易だ。ofoを駆って、一気に九龍坑山の麓、大埔頭村までたどり着く。ここにある公衆トイレが水塘までの最後のトイレなので、必ず行っておいた方が良い。

衛奕信徑第8段

 トレイルが再び登山道になったところで、尾根筋には鄧家の墓所が現れ始める。大埔頭村の鄧家は新界五大氏族の一つ、錦田の鄧氏の一支族で、村内には立派な祠堂兼家塾が残されている。一族は尾根に沿って南面し、村を見下ろす日当たりのいい土地に墓所を構えている。きっと風水もいいのだと思う。

 政府が公園地として整備をしようと、原居民達が以前から持っていた墓所については中々移転させることは難しい。他のトレイルや公園でも、こうした墓所は頻繁に見かける。イギリスがやってくる以前から新界に入植していた原居民の土地を中心とした諸々の権利は返還後も守られており、新界の開発に当たっては屡々政府と対立している。 

衛奕信徑第8段

 大分奥まったところにいきなり戸建ての高級分譲住宅地が現れる。ここ康樂園は蒋介石との対立の末下野した粵系軍人の「河南王」李福林が晩年を過ごした広大な果樹園の跡地で、近隣の公共施設には李の名前が冠されたものもある。

衛奕信徑第8段

あまり伝わらないと思うが、結構な傾斜だ。このルートは急峻な尾根を直登させる部分が多く、結構しんどい。笑

衛奕信徑第8段

登り終える。この山頂には玉秀峰という愛称が付いているらしい。山頂には三角点とベンチがあり、しばし休んだ後に九龍坑山の山頂を目指して行く。

衛奕信徑第8段

恐らく第8段の一番の目玉であろう景観が現れた。かなり急なコンクリ階段が張り付いている。山頂は写真右奥に見えるアンテナの直下なので、階段を登ってからは然程のアップダウンもなく、日差しと風を浴びながらのんびり進める。

衛奕信徑第8段

衛奕信徑第8段

着いた!九龍坑山の山頂はトレイルからやや外れているのだが、合流先からの道を間違えてしまったりして30分ほど時間をロスしてしまった。

衛奕信徑第8段

九龍坑山山頂の前で衛奕信徑の第8段は終わり、ここからは第9段。電波の入りも悪い山奥から高層ビル立ち並ぶ深圳の市街地を望む。この距離にこの風景、かなりアンバランスな感じがする。

衛奕信徑第8段

水塘には着いたが、すでに16時。そこから先の屏風山への直登の厳しさや日没までのタイムリミットを考えて、今回はここを中間セーブ地点として終了。ダムから鶴藪村へ下り、ミニバスで粉嶺まで帰った。

沙螺洞~鶴藪水塘~衛奕信徑第9段(後半)

第9段の中間セーブ地点とした鶴藪水塘から再開するため、まずは前回と違うルートで水塘を目指す。ofoで川を遡り、鳳園から山に入っていく。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

原居民の墓が並ぶ丘を越えていくと少し開けた土地が現れ…

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

デベロッパー(沙螺洞發展有限公司)の地上げに反対する村民の垂れ幕が延々並んでいるのが見えてきた。所々独立派による落書きもされている。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

そして突然眼下に廃?村が。そう、この沙螺洞なる盆地は、古くから人が入って耕作をしていた所。80年代からゴルフ場建設と宅地開発を狙うデベロッパー、反対派の村民、貴重な湿地があることからゴルフ場も村民の農地もまとめて排除したい政府との三つ巴の争いが続いてきた場所であるらしい*1。今年に入って漸く決着がつき、デベロッパーは政府と土地交換をし、村の土地は政府所有となったそうだ*2。これまでは村民が植えた菜の花が観光名所にもなっていたようだが、湿地保護の観点からこれが問題となり、来年からは姿を消すという。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

ここは張屋という字であり、名前の通り張氏の単姓村。地上げを拒んで唯一住み続けていた村民が経営する休憩所と廟だけに人の気配があり、多くの建物は廃墟と化し、デベロッパーによる「公司物業」との文字が残されている。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

廃屋を通り抜けて村の裏側に出た。ここが菜の花畑だった場所らしい。背後に見えるのが今日の目標である屏風山から八仙嶺へと至る山並み。たしかに、ここに菜の花が咲いていたら美しいことだろう。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

村を出て、かつては田畑が広がっていたんだろうなあ、と思しき道を進む。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

森に入ると傷みの激しい石畳の道が現れた。そう、ここは鳳馬古道といって、大埔側から鳳園、沙螺洞を抜けて鶴藪へと下り、沙頭角や粉嶺方面の村や市集とを接続する道だったらしい。そのため比較的アップダウンも少なく、道幅は狭いながらも快適なルートを選んで道が作ってある印象を受ける。

鳳園~沙螺洞~鶴藪水塘

すぐそばには清浄な水が流れていて、歩いていて気持ちいい道だ。そうこうしているうちにofoを降りてから1時間ほど、すぐに鶴藪水塘に着いてしまった。

衛奕信徑第9段

というわけで、衛奕信徑第9段再開。トレイルは水塘から一気に屏風山の頂へと辿り着こうとするので、強烈な上り坂が続く。息を切らしながら登っているとすぐに森が消え、頼りない灌木と脆そうな岩肌が露出した山体が眼前に広がった。この山の頂まで行けばさぞかし気持ちいい眺めなのだろう、そう思って進んでいく。

衛奕信徑第9段

今日も深圳がよく見える。

衛奕信徑第9段

大分登ってきた。

衛奕信徑第9段

山頂付近の谷間に辿り着いた。標高500m台とは思えない光景に驚く。

衛奕信徑第9段

石灰質の岩肌に草木が張り付いている。谷の底には細い川があり、透明度の高い水が流れていた。湧いているのか、雨水なのかは分からない。

衛奕信徑第9段

川の水で汗を流してから、別世界のような風景を進む。道は地面が露出しているので浸食がものすごく、以前の舗装はほぼ全滅している。

衛奕信徑第9段

ここで尾根筋を辿るため、大きく南東へとカーブする。きた道を振り返ると、幾重にも連なる山々の両側に、深圳の新市街と沙頭角の街が見えて圧巻。市街から2時間でこの眺め、最高すぎる。あとは延々この尾根筋に沿って進むだけ。日没との戦いだ。

衛奕信徑第9段

衛奕信徑第9段

振り返ると深圳。尾根は本当に屏風のような断崖絶壁で、それなりに気をつけて歩く必要がある。トレイル本体はたまに尾根筋を外れてピークを巻くことがあるが、そのまま尾根を突っ切る非公式なルートも作られている。

衛奕信徑第9段

衛奕信徑第9段

 黃嶺(639m)到着。蝶や蜻蛉、それを捕食する燕が飛び交っている。

衛奕信徑第9段

南に目を向けると船灣淡水湖や馬鞍山、西貢の山や島々が見える。

衛奕信徑第9段

 

山頂でのんびりしているうちに大分日が傾いてきた。この尾根が切れるところまででないと人里に降りることができない。急がなければ…

衛奕信徑第9段

最高峰の黃嶺を越えると「八仙嶺」。8つのピークをアップダウンしながら、次第に標高は下がっていく。

衛奕信徑第9段

八仙嶺の最後、仙姑峰を目前にしてタイムリミットが訪れてしまった。綺麗すぎる夕陽に目を奪われている場合ではない。森林が回復してくる下りの道の方が光が必要なのに…

衛奕信徑第9段

仙姑峰から一気に下り、八仙嶺自然教育徑との分岐点に到着。ここで衛奕信徑第9段は終了。10段は次回に回し、自然教育徑を通って(ここも山奥の村々を通って沙頭角の市に抜ける古道らしい)ダム湖の入り口まで出られた。バスに乗って帰宅。

衛奕信徑第9段

ダム湖を眺められるあたりはまだ空の色も明るかったが、森の中に入る頃にはほぼ光がなく、いろいろな動物の鳴き声がして非常に不安だった。ライト持ってきていてよかった。

香港の山がすごかった①:馬鞍山

はじめに

香港のレジャーの一つにハイキングが挙げられる。
香港の人たちにオススメされることも多く、また書店には「行山(hàahng.sāan)」についての本も沢山並んでいる。instagramでもHike迷や山ガールの自撮りがめちゃくちゃ出てくるほど人気なのが窺われる。
もっとも正直な所、自分は「香港って植民地期以前の歴史建築もあんまりないし、文化景點が少ないからその反動じゃない?」などと若干ナメたことを思っていたのですが、

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吐露港の向こうに聳える馬鞍山(702m)

新界でこんな風景目前にしたら印象が全然変わるわけです。山の形がどうかしてるし、大体こんな低緯度なのに森林限界300mとかなのか?と思えるくらい稜線の風化がすごい。もっとも、香港島の時点で相当に険しい印象はあったけど…

常々「香港は何もかもを大袈裟にした神戸」と言っている僕ですが、街の背後に屏風のようにそそり立つ香港の山々はまさに六甲山系を彷彿とさせる。

今まで香港の山に関心がなさすぎて全然知らなかったけど、日本人も結構ハイキングを楽しんでおり、トレイルの解説本なども出ているし、ブログとかでも色んな登山レポを読める。

香港アルプス ジオパークメジャートレイル全ガイド

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 というわけで、自分も空いている日には体を動かそうと、早速馬鞍山へと向かったわけである……

①馬鞍山

水浪窩(15:30)~麥理浩徑第4段~馬鞍山(17:30)~牛押山(17:58)~吊手岩(18:44)~馬鞍山家樂徑~馬鞍山郊野公園燒烤地點(21:00

この日は出遅れた上にバスの乗り継ぎに失敗し、ルート起点到着が15時半になってしまった。今回は下見にしよう、麥理浩徑を途中まで行って、日没前に戻って来ればいいか…と思っていたのですが 

馬鞍山

この風景に当てられ、「ここの天辺から夕焼け見ると綺麗だろうなァ…」などとおもってしまった。実際、麥理浩徑は総督の名前が付いたメジャートレイルなだけあってかなりよく整備されており、多少の無茶がききそうな感じはあった(ナメている)。

馬鞍山

こんな物々しい警告を越え、馬鞍山の尾根筋を登っていく。麥理浩徑とはここでお別れになり、道も一気に心許ない感じになっていく。

馬鞍山

山肌からは灌木も失われ、異様に見晴らしがいい。尾根筋にいるので下から吹き上げる風を受け、心地よさ反面、バランス崩すことへの恐怖や日没への不安が増していく。

馬鞍山

分岐点から30分近くかけ、漸く山頂(702m)へ到着。360度何も遮るものはなく、最高の見晴らしだ。最もすでに太陽は沈みかけており、

馬鞍山

続く牛押山(677m)、吊手岩への道が尾根伝いに伸びている。あっこれ須磨アルプスの「馬の背」じゃん、流石は「馬鞍」山。尤も、こっちのが余程きついが…

結局、糧秣も飲み水も切れる中、真っ暗の中吊手岩の崖に垂らされたロープを伝ったり、四つん這いで岩肌を掴んだりしつつ、なんとかこの山を下りてくることができた。

牛押山に辿り着いた18時頃にはすっかり辺りも暗くなっていたため、吊手岩へのルートが見つけ辛く(ここも警告の看板を越えた先にルートが続いていた)、絶望感から暫し蹲ってしまった。一時はここで一夜明かす事も検討していた。本当に危ない…一人という事もあって、以前奥多摩の古道を歩いた時以上に恐怖を感じた。

日原古道に行った(その1:氷川→大沢→「古道」入口) - 亞的呼聲 Adiffusion

馬鞍山の尾根筋を渡る道は、メジャートレイルほど整備されてはいないけど、踏み跡以上の道はあるので、真っ暗な中でも道を踏み外して崖下に真っ逆様、というような危うさはそこまでなくて安心。ただ、やっぱりライトあると便利ですね。麓に近いところの東屋に辿り着いた時、人界に近づいた安心感から脱力してしまった。そのまま東屋で3,40分程気絶していたので風邪を引いたけど…

下山が遅れた怪我の功名として、蛍を見ることが出来た。今回見た種は結構大きくて、光も強くてとても幻想的だった。亜熱帯とはいえ晩秋に蛍がいるとは思わず、最初は疲労の果てに幻覚が見え出したのかと思って結構焦った。

おわりに

香港の山、思った以上に風景が壮大で気持ちいい。そして難易度も思っていたより高い所がある…当たり前だけど、余裕のある計画を立てて臨んだ方がいいですね。そもそも、馬鞍山は須磨アルプスと同じくらいの感覚で行く所ではなかった。標高も倍以上違うし……計画性の微塵もない人間なので、本当にこういう所が弱い。

今後、より装備を揃えて、身体も鍛えつつ少しずつ攻略していくつもり。楽しみです。アウトドア専門店のDecathlonが色々安く売っていて良さそう。部屋の椅子と机もアウトドア用の折り畳みをここで買った。

 

 

香港の魚を食べる①:潮式凍烏頭(潮州風蒸しボラの冷製)

香港で流通している魚介類を色々食べていこう、という企画です。シリーズ化予定。

はじめに

香港の食といえばその多彩な海産物だろう。点心にもふんだんに使われるエビを始め、カニ、ハタ、シャコ……華南随一の大河・珠江の出口に位置し、三方を海に囲まれる香港。イギリスがやって来る前の「苫屋の煙、ちらりほらりと立てりし処」であった時代から、ここに住む人々の多くは漁撈を生業としてきた。

香港が国際的な金融都市に変貌し、また流通の進歩によって内地、日本、東南アジア諸国などから乾物以外にも様々な水産物流入するようになっても、香港の漁業は依然として重要な地位を占めている*1

西貢や離島まで行かなくても(実はまだ行ったことがないので行ってみたいものだ)、店頭に生簀を構える海鮮酒家は勿論、香港中あちこちにある街市を覗けば、香港に住む人々の魚介類への拘りの強さを感じられる。関西では見かけるようなものから調理法も全く想像が付かないものまで、日々多種多様な魚介類が新鮮な状態で店頭に所狭しと並べられおり、大いに賑わっている。

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街市の魚市場。石斑などの高級魚から日常の魚まで、ありとあらゆる魚介類が揃う。

魚の棚以上の活気に毎日当てられていると、自分でも何か試してみたくなるというもの。誰かを誘って頻繁に海鮮料理を食べに行ける身分でもないけれど、大体週1くらいで食べたことのない魚を試してみようと思い立った訳だ。 

…調理器具と調味料の不足により、従来はこのように焼き色をつけたら生抽と米酒で蒸し焼きにするだけの「雑アパッツァ」しか作れていなかったわけだが、市場で銀色に光り輝く魚が気になり続けていた。それがこの「烏頭」だ。

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光り輝く烏頭。奥に見えるのは倉魚(金鯧魚)

イトヨリ(紅衫)もマナガツオ的なやつ(金鯧魚/ 倉魚)も、なんとなく見た目に親しみ(食べられそう、という感じ)が湧く魚だったけど、こいつは全然見覚えがなかった。調べるとなんということはない、というかイトヨリやマナガツオ以上に出会っているであろう、津々浦々の河口付近で見かける「ボラ」だったわけだが。普段背中側しか見ないから、全く一致しなかった。

ボラは泥臭いというイメージがあるし、カラスミ以外に食べたことがなかったけれど、調べてみると水域によっては臭みもなく、刺身でも食べるような魚らしい。流石に刺身チャレンジはしないものの、当地の人々が食べているならその調理法に従えば絶対に不味くはないだろうという信念の下、香港において広東系に次ぐ集団である潮州人の調理法、「凍烏頭」に挑戦することにした。魚介に強い潮菜なら安心だ。このためにフライパンを蒸し器に拡張すべく道具も揃えた。

この凍烏頭だが、その実手順自体は非常に簡単な料理だ。①鱗も取らず、内臓を取り去っただけのボラに塩を擦り込み、②蒸すだけ。蒸しあがったらしばらく置いておいて冷ましてから食べる冷菜だ。味付けは下味の塩と、必要ならつけだれとして普寧豆醬か生抽を添えるのみ。こういう調理法はボラのみに限らず、総称して「魚飯」という。なんでも、保存設備のなかった昔、漁師が海上で手早く加工して出荷できるように生み出されたものであるそうだ*2

脂が多く柔らかいボラの身を、塩と冷却で引き締め、甘味を引き立てる*3。鱗を剥がさないのも蒸す際に旨味が逃げないようにする意図があるそうだ。シンプル故に、ボラ自体の目利きや蒸し加減の絶妙な技術が問われる料理である。目利きも技術もない状態でトライして大丈夫なのだろうか…

調理

街市に出ていたものはどれも素人目には鮮度が良さそうだったので、なるべく脂の乗っていそうな太めで身のしっかりした個体を選んだ。蘋果日報ありがとう…*4体長は30数cmほどで、35ドル。中くらいのイトヨリより高く、中くらいのマナガツオと同じくらいの値段だ。また、日本と同様に、街市のおばちゃんに鱗は剥がさずわただけ取ってと頼むことで(無料)、一番ウェットな作業を大幅に短縮することができる。

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ボラを洗う。背後にちらっと見えているのは「へそ」

大体のワタを取ってもらって持ち帰ったら、早速身の簡単な洗浄に入る。魚屋さんがワタを取ってくれた後なので多少楽だが、白子(魚油膏)が付いていたので身から引き剥がす。白子の裏には背骨とそれに沿うように太い血,管があるので、内臓周りの黒ずみや血を丁寧に剥がしていく。これが残っていると蒸した際の生臭みに繋がるそうだ。

洗っていて気づいたが、この魚は眼の周りから頭部の先端に向かってゼラチン質?の透明な膜に覆われている。これは脂瞼というものらしく、眼を保護しつつ視界を確保するものらしい。面白いですね。また、正面から見て逆三角形のような形をしているので、腹よりも背の方に肉がぎちっと詰まっている感じだ。仄かに桃色の、生で食べたら美味しそうな白身魚の肉。鼻を近づけても、他の魚と比べての殊更の生臭さというものは感じられない。

白子はあまり食指が伸びないので、本体と一緒に蒸して少しだけ味見することとして、もう一つ、魚屋さんがボラの腹の中に残しておいてくれたものに気づいた。「へそ」(幽門、魚扣)である*5。水底の砂ごと藻を食べるボラは、泥の排出の為に胃袋の肛門にあたるこの部位が発達している。鶏の砂ずりのような食感らしく、刺身の他に串焼きにしても食べられる珍味であるそうだ。確かに、鶏肉のような見た目。これは自分も試したいので、米酒に漬けておき、刺身風に食べることにする。

流水で良く血の汚れを落としたら、水気を取って塩を擦り込み、ラップで巻いて冷蔵庫で3-4時間置く。こうしているうちに、余分な水分が抜けて、ボラの身はより引き締まり、甘みを増していく、はずだ。

そして4時間が経ったので冷蔵庫から出し、余分な水分や汚れを拭き取って、蒸し器に掛けていく。しかし、何も考えていなかったので、ボラのサイズがフライパンの直径を超えてしまった。やむなく尾を断ち切って一緒に蒸すことに。切断面から旨みが逃げないことを祈りつつ、13分間強火で蒸して、5分間蒸らす。未だ慣れないIHコンロ、蒸す機能が付いているのだが、やや火が強すぎたか、ボラの片目が落ちて、脂瞼が白濁してまった。こういうものなのだろうか。それにしても、顔のあたりなんだか魚というよりデカい蜥蜴みたいだな。少し不安だ…

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蒸しあがった状態。尻尾切りたくなかったなあ…

実食

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熱々を食べず、常温まで冷ます。ここに潮州らしさがある

常温まで冷ました後、外出しないといけなかったのでラップをかけて冷蔵庫へ。帰宅後ビールも冷えたし、ようやく実食だ。

結構しっかり冷えていて、皿の底に透明な煮こごりが出来ている。実際の凍烏頭はここまで冷やすものなのだろうか、謎だ…色んな作例の画像を見ていると、腹側からパックリ開いたり、半身外したりして盛り付け、後はその身を刮いで食べる感じらしい。身が柔らかくホロホロ崩れていくので、綺麗に取り分けるのは結構難しそうだ。とはいえ腹骨も目立つし、鱗のついた分厚い皮があるので、刮ぐのはそこまで大変ではない。もっとも、蒸してから冷蔵庫に入れるまでの冷ましている時間がやや足りなかったために身がややモロモロしている可能性もあり、これは今後の改善点だろう。本来は蒸した後にしっかり乾燥させて、ある程度身を引き締める必要があるのだと思う。これはこれで、しっとりしていてうまいとは思う。

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脂瞼が白濁している。大きい鱗が浮き出ており、蜥蜴か何かに見える。

食べた感じは、普通に美味しい白身魚の味だった。確かに、鯛などとは違う独特の癖のようなものは感じるが、生臭さとしては感じられない。蒸す前に丁寧に身を洗い、塩を擦り込んだからだろうか、それともこの辺りのボラがこうなのだろうか。他の白身と比べての特徴は、その柔らかい肉質と脂。カビか?と思うくらい鮮やかな黄色の脂が肉と皮の間に浮いていて(「黃油」と言って、肥えている証らしい)、結構食いごたえがある。デカいトカゲをまるごと食べてるみたいな見た目だけど、全然いけるじゃん。ビールが進みます。

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蒸した白子。薄皮はやはり剥がすものっぽい。見た目はグロい

本体と一緒に蒸してみた小さな白子は、日本酒が欲しくなる味だった。ヤバい…しかし29度の米酒しかない。

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肝心の「へそ」の刺身は、本来日本酒に漬けるべきところを29度の米酒に漬けていたので、完全にホルマリン漬けのような状態になっていた。少し考えれば分かるようなことだが…砂肝のような食感は美味しいけど、噛み締めても完全に米酒の味しかしなくなっていた。これはリベンジしたいなあ…笑

 

*1:漁農自然護理署年報 漁業によれば、2015年時点で香港で食用にされる海産物の28%は香港で水揚げ・養殖されたものだ

*2:每日頭條「潮州魚飯,是飯也不是飯」2016年9月25日。魚飯と言うのは、生米を炊いたら米飯、生魚を炊いたら魚飯だから、とかなんとか…

*3:MamaCheung 張媽媽廚房: ★潮州凍烏頭 一 簡單做法 ★ | Chiu Chow Teochew Grey Mullet Easy Recipe

*4:超簡易!大廚教煮凍烏頭五個竅門 保證肥美香滑 | 2017-08-12 | 飲食男女 | 蘋果日報。目利きや蒸し時間など、餐館の女将のアドバイスが本当に参考になった

*5:街市で購入してから実際の調理の工程、部位の名称に関してはこちらの動画を参考にした。 烏頭😋 凍食👍 潮州名菜( 適合家庭煮法) - YouTube

渋谷のライオン、世界的のライオンと、「〜的の」という日本語にときめくこと

はじめに

 名曲喫茶ライオン、という店が道玄坂の百軒店にある。
 東京の名曲喫茶やレトロな喫茶店好きで知らない人間はまあいないだろうといった感じの、超定番の銘店だ。

 自分は名曲喫茶が好きだ。自分は日頃から余りクラシックを嗜まない方だと思うのだが、名曲喫茶に行けば知らない音楽(名演奏といった類の)に出会えるし、どことなく優雅な気分でリラックスできる。これはクラシック音楽というものを、非常にスノッブな態度で消費しているのだろうとは思うけど。
 更に言えば、コンサートと違って読書もスマホも出来るし、コーヒー1杯の値段で座れるし、コーヒーが飲めるし、吸いたい人はタバコも吸えるし、途中退席で白眼視されないし、普段使っている名創優品で200円のイヤホンよりは余程音質もいいし、何より演奏終わった後のあのクソ長い拍手が無いので最高だ*1

「〜的の」という日本語

 ところで、名曲喫茶ライオンは創業は昭和元年、現在の建物も昭和21年と、かなりの歴史を持った老舗なのだけど、その重厚な内観と壁一面の時代がかった音響設備(と建物が歩んできた時代の変遷を感じさせる便所の落書き)が物珍しいため撮影する客があとを絶たず、現在は撮影禁止だ。
 店に滞在した記念として、客が唯一持ち帰られるのがその月の定時演奏のプログラムなのだけど、その図柄や、「帝都随一」といった文面も、創業当時〜戦後まもなくといった感じのレトロな空気を纏っている。

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このプログラムの中に、僕が毎回眺めてはうっとりしてしまう(?)文言がある。

アメリカの雑誌オーディオに当店の演奏装置が写真入りで掲載になりましたので渋谷のライオンは世界的のライオンになりましたことを光栄に存じております。 ——昭和三十四年——(太字は著者)

 自分でもよくわからないが、僕はこの「〜的の」という表現を見ると脳でα波が噴き出るようになっているらしい。多分、日常からほぼほぼ消滅したであろうこの「〜的の」が、見慣れた口語体の中に突然現れる、その違和感に惹かれているのかもしれない、分からない……このことについて、意外に共感を集めたのでちょっとだけ、調べてみた。

 なんと、はてなブログにど直球の記事があった。

satzz.hatenablog.com

 当該記事では、現代日本語書き言葉均衡コーパス「少納言」を利用して「〜的の」の出例を探ることを試みていた。「〜的の」の出例が32件ということだが、思うに「少納言」の場合は70年代以降のデータからしか検索できないということもあろう。

 では反対に、「〜的な」を検索してみたらどのような結果が見られるだろうか?

日本語コーパスを初めて使った

先ほどの説明は説明としてわかるわけでありますけれども、何らかの積極的な指導というものが図られる必要があろうというふうに思うわけであります。衆議院常任委員会にて、竹村委員の発言。『第77回国会会議録』、1976年。)

これが「少納言」で発見しうる、「〜的な」の最も早い用例であった。「少納言」には『国会会議録』は1976年以降のものしかないので、これ以前の発言を確認することは出来ないが、少なくとも1971~75年に出版された書籍の内、本コーパスに収録されたデータには「〜的な」を含む文章は存在しなかったということになる。
 一方で、「〜的の」の場合、引用の疑いやそれ以前に書かれた書簡や全集への再録を除いても、

問題は二つあった。一つは対外的の問題で、ポツダム宣言受諾の条件、すなわち日本の国体の問題、天皇制の問題に対して、……細川隆元『男でござる:暴れん坊一代記 風の巻』山手書房、1981年)

であったり、

流行のプレファブのユニットハウスであり、情緒は毫もないが、機能的のようである。森村誠一『悪魔の圏内』実業之日本社、1988年)

或いは

古代の米についても、現在の米と同じように、最新の分子遺伝学的の成果を応用できることを示した点で意義は大きい。(柏原精一『図説 邪馬台国物産帳』河出書房新社、1993年)

など、90年代になっても例は少ないものの書き言葉としてはボチボチみられるようである(森村の用法は「〜的のように思える」の如き場合は殊更の違和感はないが…)。「〜的の」使用者は皆戦前生まれだった。尚、『国会会議録』での検索結果では、1985年の第102回国会衆院特別委員会で青山委員の放った「懐疑的の」が口語上に現れた最後の「〜的の」であった。
 書籍において、「〜的な」は1975年の外岡秀俊『北紀行』を皮切りに、86年以降爆発的に増え出すようだ。ここから、尤も、先行する記事が言うように、このコーパスは検索結果の表示にやや不安があることや、70年代の収録書籍数が少ないという懸念もある。
 政府白書に絞って検索すると、政府作成の文書においては恐らくは76年時点で既に「〜的な」に統一されていることが分かる。ここをもう少し遡って検討できればいいのだが……。

結論?雑感。

 まとめると、70年代には既に口語では「〜的な」が優勢であったものの、書き言葉に関してはまだまだ「〜的の」が用いられ続けていた。しかし70年代後半には既に政府文書で「〜的な」が採用されており、80年代半ばに至ると一般書籍においても支配的になった、と考えてよいだろうか。本来なら検索結果数などを図示したいところだが、パス……

 そもそも接尾辞の「的」自体が、江戸時代に輸入された中国の白話小説に始まり、明治に入って西洋近代がもたらした諸概念の翻訳に多用された経緯があり、当初その語感は硬く、専ら訓読体の学術・評論分に使用され、くだけた文章には用いられるところ少かったという*2。言文双方で「〜的な」が支配的になった後も「〜的の」が書き言葉として細々と命脈を保って?いたのも、「〜的の」の方がどことなく“戦前派”らしき雰囲気と格調の高さとを感じさせ、文語体をメインに使用されてきた接尾辞「的」との相性がよかったのかもしれない。

 また、これは想像の範疇を出ない考えだが、学校文法において「形容動詞」という区分が採用され、その連体形として「〜な」が採用されたことが大きいのではないか、とも思う。
 試みに、戦後学校文法の原点とも言える文部省『中等文法 一』および同『中等文法 二』(それぞれ1944年。広島大学図書館 教科書コレクションデータベース)を参照する。一が口語、二が文語である。これらの「形容動詞」の項目には、当然かもしれないが連体形として、或いは語幹のみの用例として「の」を用いたものは見当たらなかった。

Wiki見ただけだけど、形容動詞の連体形「~な」の語源は、文語「~なり」の連体形「~なる」が変化したもので、江戸末期以降こうした用法は見られなくなり、「の」で接続することが一般的になった、らしい。「〜的」という語幹に限って言えば、昭和の終わりには逆に「の」を「な」が食った状況が伺えて、面白い。

 

*1:勿論、一度きりの生演奏に対して拍手が長いのは当然のことだ、とは思いつつも、途中から両手に痺れを感じながら「指揮者何度も出たり入ったりせんといてくれ〜」とか、「伏せ拝」とか思ってしまう

*2:望月通子「接尾辞『〜的』の使用と日本語教育への示唆」『関西大学外国語学部紀要』(2)、2010年。尚冒頭の先行研究のまとめのみ読んだので、これはガッツリ孫引きである。時間があれば是非参照したい

Serriniの《油尖旺金毛玲》を聴いたこと

 ここ数年、広東語の勉強という名目でCantopopを聴いている。こうすると何にもなっていなくても勉強をしている気になるのでと、ても健康にいいと思う。とはいえ聴いてるのが張國榮やBEYONDとかの懐メロばっかりだったので、最近のCantopopも聴こうと思い立ち、香港高登討論區のスレで紹介されてたアーティストをざっと聴いてみた。
 あんまり聴けてない中ではMy Little Airport(最近?って感じだけど)、Another Kitchen、小紅帽あたりが好きです。多分聴いてみると「スマガからSwinging Popsicle聴くようになった人間が好きそう」という感想が得られると思う。わからない。
 あとは、Serrini。中でも《油尖旺金毛玲》(2016年)は薄暗いネオンが似合いそうな、少し気だるげで切ない曲調と歌い方が印象的で、とても気に入った。

www.youtube.com 金毛の玲という少女が夜の街で恋をする話だと漠然と思っていたが、歌詞を読んでみると文語、白話、広東語の混じる「三及第」(他に近年の表現や横文字も入ってるので四及第だと思う)文体の歌詞は意外と難しくて、意味が全然取れていない部分もあった。全然自信はないけど、以下に歌詞の内容をメモするとともにそのストーリーをなんとなく解釈しておきたい*1

*1:詳しく歌詞の解釈を試みた記事は余り多くなかったが、記事を書いている途中で豆瓣音乐の「从《油尖旺金毛玲》到《尖沙咀Susie》(油尖旺金毛玲)乐评」に気付いた。これはかなり詳細で参考になる、というかこの記事の存在意義…笑

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